Violet@Tokyo

信者ビジネス・意識高い系・大嘘つき〜ネットはいつからソシオパス社会になったのだろう

約 7 分

最近、一部ネットで問題になっている人のことを「ソシオパス」と定義している人がいました。「本当に彼らがソシオパスなのか?」ということはさておき、いつからネットはこうなったのだろう…。私は彼らを見ていると、ドストエフスキーの名作・「罪と罰」の主人公、ラスコーリニコフと、オウム真理教をよく思い出しています。

ラスコーリニコフに関しては、当時のロシアの社会的背景・格差社会なども絡んでいて、この物語に触れると長くなるのでコピペのみ。

頭脳明晰ではあるが貧しい元大学生ラスコーリニコフが、「一つの微細な罪悪は百の善行に償われる」「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」という独自の犯罪理論をもとに、金貸しの強欲狡猾な老婆を殺害し、奪った金で世の中のために善行をしようと企てる

情報源: 罪と罰 – Wikipedia

いい作品なので、興味があったらぜひお読みになってください。

信者ビジネスの教祖はラスコーリニコフと同じ理屈

以下の記事でこの文言を書いていたときも、「罪と罰」のラスコーリニコフを思い出していました。

詐取する側もそれがわかっているから「金はあるところから取ればいい」と思うだろうし、最後に感謝の言葉までもらえるから、罪悪感どころか、自分はいいことをしているような気分に浸れます。

それもこれも、自分がナポレオンやニュートン並みに特別な人間であると思い込んでいるのが原因。

選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」を、そのまま実行しているわけです。情弱者を対象とした怪しげなセミナーしかり、人々をイラッとさせる極端な言動もそう。

人より優れた自分であるためには、凡人を下に見なければならない。そのための手段が彼ら(凡人)をdisることと、脈々と受け継がれてきた秩序の維持に逆らい、それを守る人たちをバカにすること。そうすることで自分の優位性を主張できると思っているのでしょう。

正当化と論点のはぐらかしは常套手段

ではそこに罪の意識はないのかといえばそうではなく、罪の意識から逃れるための最も楽な手段・「新たな世の中の成長のため」「新しい働き方」という大義名分に置き換えて、自分や信者(情弱な読者含む)を納得させようとします。

これを正当化と言うのですが、その影には自分でも意識してない無意識下の劣等感は存在しているはずです。でもそれを認めれば自分のコンプレックスや腹黒さが公になる。だから矛盾を言い当てられるとブロックしたり、論点をはぐらかして「嫉妬だ」と決めつけて被害者ぶるのです。

ああ、そう言えば後に触れるオウム真理教も、自分でちゃっかり毒ガス兵器を作りながら、「毒ガス攻撃を受けていた」と騒いでいたわな。

それが社会的にドロップアウトした排他的な変人の独り言に留まれば、個人の恨み節で終わっていたと思います。ところがブログやSNSの発達により、その過激な考えに、リアルで行き詰まり絶対的な指針を求める「迷える子羊」たちが吸い寄せられ、怪しげな教祖と頭の悪い信者が結びついてしまいました。

かつてのオウムを彷彿させる

それで思い出されるのはオウム真理教。若い方はご存知ないと思いますが、私の学生時代、オウム真理教が犯した数々の犯罪は社会問題になりました。

私もある日、新宿を歩いていたら変な格好をした人たちにパンフレットを手渡されたことがありました。そこには若い人が必ず迷うであろう、人間関係の悩みや自分らしい生き方・働き方についての文言が書き連ねてありました。そして締めの言葉は「ネガティブ思考をポジティブに変えよう」みたいな、自己啓発本にはよくある、使い古されたありきたりの文言が書かれていたと記憶しています。

ただひとつ違うのは、その悩みを解決してくれるのは、変な格好をした髭面のオジさんだったということ。発行していたのは名前からして怪しげなその団体・オウム真理教。

「ウワっ、キモ…」

私はその本を次の曲がり角にあったゴミ箱に捨てたけど、捨てられなかった人の運命は悲惨です。ある者は未曾有の犯罪の片棒を担がされて将来を棒に振り、ある者は財産、家族、友人など、それまでの人生で得てきた全てを奪われた挙句に、命まで落としてしまった。しかもみな、一流大学出の未来のある優秀な若者だったことに、世間は「なぜ?」と疑問の声を投げかけました。

なんでこんなインチキ野郎を”神”だと思い込むのか?
どんだけバカなの?

人々の疑問はそこです。当時の識者たちはあれこれもっともらしいことを言ってましたが、聞いててもどこかピンとこなくて、自分の中でこれといった答えが見つからないまま時間が過ぎました。

自由を求めてのドロップアウトが地獄の始まり

それから数十年の時が流れた今、ネット上の「信者ビジネス」や「意識高い系」が話題になっています。その筆頭とされる人物やその取り巻きと、かつてのオウムの教祖とその信者とを比較してみたところ、やっと自分なりの答えが出たように感じます。

後戻りができない追い詰められた気持ちが暴走の引き金になる

オウムの出家は今で言うところの「サラリーマンを辞めて顔出し・実名でブログを書くこと」と似たようなもの。それを「覚悟」というもっともらしい言葉に置き換えてますが、退路を塞ぐことが目的です。

教祖の言動に少しの矛盾点や綻びが見えてきたとしても、退路をなくした信者はもはや引き返すことなんてできません。まともな思考能力なんて、すでに停止しています。

心が弱い者は特に、以前にも増して盲信せざるを得なくなります。全てを捨ててついて行った教祖が、実はインチキ野郎だったなんて意地でも認めたくない。プライドだけは無駄に高いから、人々の嘲笑には耐えられない。だから同じ仲間を増やそうとして、それまで以上に布教活動にいそしみます。

「何者にも縛られない、自由な独立」と言いながら、仲間がいないと不安でしかたないのです。ひとたび自分の仲間と認めた相手なら、どんなに非常識な行為をしようとも、どんなに見え透いた嘘をつこうとも、必死になってかばい合う理由はそこ。だってそれしか仲間がいないから、もう必死。

こういう姿を見ると、つくづく、何も考えない人間は恐ろしいと思います。

低レベルでも何か少しでも考えていたら、その思考の穴を突っ込んでぶっ潰すことができる。でも、彼らは何も考えていない。臨機応変と、行き当たりばったりの区別がつかないのです。

おかしいだろ!と指摘しても、考えていないから「どこがだよ!?」と逆ギレするだけ。

その後、どうなると思います?

悪い夢から覚めることなく、オウムはどんどん狂気を増して自滅への道をひた走りました。それと同じで、中には人生を棒に振る人も出てくるであろうことは容易に想像できます。だって自分でどんどん退路を塞いじゃっているのですから。そうやって最悪な所までとことん落ちていかないと目が覚めないのでしょうか?

だから、一般の人は距離を置くことをオススメします。

最後に

若い人は特に、人生で誰を信じるかはとても重要です。

有名だから、キラキラしているから、「この記事を読んで救われました」的なネットに感謝の言葉がズラズラ並べられているからだけで安易に信じてはダメ。そんなのは彼ら特有のツリです。良識的なブロガーは、そんなことはひけらかしません。「読者のため」なんて言葉に惑わされてはダメ。

また仲間内の褒め合いも常套手段。それはインチキ商品を売るためのサクラみたいなものです。彼らにとって、情弱な読者は金でしかないのです。

彼らはお仲間にはとても優しい。でも責任は、「絶対に」といっていいほど取ってくれません。

それよりも誰かに影響されなくて済むような、強い自分になることを目指してください。以上です。

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(最終更新:2017/12/05)

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