今話題のベッキーは「元気の押し売り」というあだ名をつけられています。
先週の金スマを見て、今後は「そのキャラで押し通す予定」は難しいだろうなぁと思って見ていましたが、「押し売り」というキーワードから次に思い浮かべたのは「親切の押し売り」
親切の押し売りにならないボーダーラインの見極めに悩む
元気も親切も、相手が押し売りと感じてしまったら意味はなく、ただの鬱陶しい存在だと煙ったがられるのがオチ。
私たち夫婦はつい先日、義兄から「これ以上干渉するな」と言われ、「兄弟の縁を切る」という内容の絶縁状を手渡されました。
そのできごとが心に引っかかり、ずっとモヤモヤしていました。
私たちの行為は、義兄にとって迷惑でしかなかったのか?
私たちが義兄にしたことは、親切の押し売りだったのか?
そんなことを考えては自問自答する毎日。
相手になにかのアクションを起こす時、どこまでが親切で、どこからが押し売りになるのか、そのボーダーラインを見極めるのは本当に難しくて悩むところです。
そんな折、ある方との会話から見極めポイント4つが見えてきました。「他人のフリ見て我がフリ直せ」とはよく言ったものです。
行動する前に考えたい4つのこと
- 相手の都合より、自分の感情が先立っていないかどうか
- 相手から思ったとおりの結果が得られなくても、自分は傷つかないかどうか
- 相手に見返りを求めてなかったか?
- 受け取る側のキモチを想像したかどうか?
これは親切の押し売りだと感じた経緯
ある事情から、娘さんと没交渉になっている方とのやり取りをざっくりと。
親子の付き合いが途絶えたまま、かなりの月日が経過したある日のこと、人づてに娘さんが結婚すると知り、母親としての感情が強く揺さぶられました。
「嫁ぐ娘に母として贈り物をしたい!」
当たって砕けろの覚悟でプレゼントをしてところ…
この段階では、自分の感情が優先で、いきなりそれを贈られた娘さんの気持ちなど考えていません。玉砕覚悟の特攻隊員みたいです。
「私が贈りたいと思ったから贈る。それができただけで満足」
まるで「報われなくてもいい」と、捨て身で尽くす演歌の女。
見事玉砕!!
そして後日、血相変えてその後のできごとを打ち明けてきました。
「娘からそっけないお礼の言葉をもらったけど、他人行儀な態度が許せない。私は傷ついた」
でもおかしいですよね。「贈り物ができただけで満足」と言ってたのは誰?
いちばん大事なのは受け取る側のキモチ
最初の言葉どおりなら、贈り物をした段階で自分の願望は完結したはずです。完結したならそこでジ・エンド。続編なんてどうでもいいはずです。
でもここで矛盾。その後「傷ついた」と騒いでいる。
それは、脳内で思い描いていた反応が相手から帰ってこなかった落胆の気持ちがあったからで、それだけ相手に見返りを求めていたということです。
「母の、海より深い愛に触れ、過去の確執が雪どけを迎える。そして、手を取り合って涙涙のエンディング」になるはずだったのに、あらら、残念。
勝手に自分の感情を押し付け、脳内で続編の筋書きを作って勝手に期待し、そうならなかった結果に対して勝手に傷ついている。
つまり純粋に相手のためにプレゼントを贈りたかったのではなく、自分のために恩を売りたかっただけ。毒親がよく使うお決まりのフレーズ「あなたのために好かれと思って」と似たようなもの。
では受け取る側のキモチはどうでしょう?
突然母親から親切のゴリ押しをされ、ハッキリと感謝を求められ、どう対応していいのか戸惑っている。
「もし私なら?」と考えるとこう感じるかもしれません。むろん会ったことのない娘さんなので、あくまでも想像の域ですが。
自分が何かをしたいと思った時に、自分のキモチより、相手はどうかと考えることがいちばん大切だということがわかりました。
では極力、よけいなことはしないほうが無難でしょうか?
結論から言えば時と場合によります。
時には親切の押し売りも必要
ここからは私の身に置きたできごとをざっくりと。
義兄は周囲の説得もむなしく、アルコール依存症の治療を拒否。先週末に退院しました。
するとその日の午後、義兄の近所に住む方から電話をもらいました。
「どこまで立ち入っていいのか、こちらも迷っているけど一応耳に入れておこうと思って」
そんな前置きの後に、その方は言いにくそうにこう切り出しました。
「昼間、食事をしているにいちゃんに会ったけど、早速酒飲んでたよ。肝硬変もあるから飲んじゃいけないんだろ?」
「ああ、やっぱり」
想定内の範囲。落胆もしませんでした。
感謝を求めず、人として正しいと思ったことをすればいい
その方も、親切が仇にならないよう、慎重に言葉を選びながら考えた末、こちらに連絡をしてくれました。
私たちと同じく、「親切の押し売りにならない範囲」に悩み、「だけど人として見過ごせない」という思いです。
私たちにとってはとても親切な行為ですが、義兄には迷惑な行為でしょう。だからその方も迷ったのです。
でも今の義兄には地域の見守りが必要です。「親切の押し売り」をしてくれる人が身近にいるかいないかの違いは大きいです。
それを伝えたところ、その方は快く地域に協力を呼びかけ、義兄の見守りを約束してくれました。
私たちにはとてもありがたい申し出です。
「本人に伝わらなくてもいい、伝わらないこともわかっている。だから感謝も求めてもいないけど、人としてやるべきことをするだけ」という打算のない意識が伝わってきました。
これが本物の親切ではないのかと、上記の贈り物の例と義兄の見守りを引き受けてくれた方とを比較して得た答えです。
まとめ
実はその方の申し出があるまでは、心が晴れない日が続きました。
この先、どうなるのかという不安だけが堂々巡りをしましたが、地域の暖かい心に触れて「人生って捨てたもんじゃないな」と、改めて感じた次第。ちょっと心が強くなりました。
「本物の親切にはぬくもりがある」
こんなあたりまえのことをやっと気づくなんてと、いかにアタフタしていたかがわかります。
「なるようにしかならない。だからもうジタバタしない」
今は自然とそう思えるようになりました。
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