Violet@Tokyo

「私はどんなことがあってもお母さんだから」 はぁぁぁ? んなこと、口が裂けても私なら絶対に言えない

約5分



「さる年は騒がしい年」なんて言われていますが、今年はまさにそんな年。

SMAPの解散、ベッキーの不倫、清原逮捕など年明け早々から大きな事件が勃発しましたが、それらを忘却の彼方に追いやるくらいのショッキングな事件が勃発しました。

俳優の高畑祐太が「女性への欲求を抑えきれなかった」として、自らの将来を自身の手で抹殺した前代未聞の事件。

それを受け、母親で女優の高畑淳子さんが先週金曜日に記者会見を開きました。

女優という立場上、会見は避けては通れない

22歳の成人した息子が犯した性犯罪。母親に法的な責任はないことは誰もがわかっている。

「なんで22歳のバカ息子のために、母親がノコノコ出てきて謝罪しなきゃならないの?」

多くの人はそう感じたでしょう。また会見を開くことによって「被害女性をさらに苦しめることになる」といった批判的な意見も出ています。

しかし女優という彼女の立場と、古くから日本に根付く、子どもがいくつになっても道義的な責任を親に問うという変な風習がある以上、会見は当然といえば当然かと。

「どうせやらなきゃならないなら早いうちに」と、ご自身の体調も芳しくない中、意を決して会見に臨んだ高畑さんの判断は妥当なものだと思います。

高畑淳子さんの会見を見た感想

私はリアルタイムでその会見を見ました。

率直な感想を言えば、相変わらずリポーターというのは、くっだらない質問ばかりするものだということ。そんなくっだらない質問にも一つ一つ、高畑さんは誠実に答えていました。

そのためか、商品としての”女優・高畑淳子”に対する傷は、最小限に留まったと思います。実際高畑さんに同情する声もありましたし、ワイドショーでは涙ぐむ人もいたくらいです。所々「ザ・女優」的な計算も見え隠れしましたが、まずまず成功でしょう。

「今だからこそ」言うべきではない一言

でも親子関係で考えた時、「ちょっとな…」と、引いちゃう部分もありました。

いくつかありましたがその最たるものは「私はどんなことがあってもお母さんだから」という一言。いつぞやの高島礼子の会見(「妻としての責任がある」というアレ)を意識しているように見えました。

これって良くない意味で、すごく日本的。(引き合いに出して申し訳ないけど)高島礼子で言えば「耐えている健気な妻」というポーズを感じたし、今回で言うなら「女手ひとつで苦労して育てた母親」のポーズを強く意識しているように感じました。

被害者の心情をどこまで理解しているのか?

率直に、厳しい言い方をさせてもらうなら、まるでペットに話しかけているみたいな気持ち悪さを感じました。

これはないわ…。言いたくてもそれをグッと堪えるのが親ってもんじゃないのかしらね。公式の場ならなおのこと。正直、「この親にしてこの子あり」という印象を受けました。

こういった性犯罪のことを「魂の殺人」と表現する場合があります。被害者が受ける恐怖、屈辱、怒り、哀しみ…。それらを一生抱えて生きていく被害女性。

ある状況、例えば男の人に腕を掴まれた瞬間、肩に手が触れた瞬間などに、そのおぞましい出来事が脳裏によぎることは十分にありうるわけです。それはどんなに時間が経過しても、どんなに謝罪をされたとしても、消えてなくなることはないのです。

この親子は果たしてどこまでそれを自覚しているのでしょう?

むしろ北野武の親のように「あんなどうしようもないのは、死刑にでもしてください!」くらいのことを言った方がはるかにすっきりします。

少なくとも、今の段階で息子にこれを言ってはダメでしょ。今だからこそ親として言うべき言葉は、「もう大人なんだから、自分の罪は自分で償え」でしょ。なんで「ふざけんな!バカ野郎」という、被害者の気持ちを最初に言わないんでしょう。

それに本人はまだ、どん底の景色を自分の目でしっかりとは見てはいない。想像はしているかもしれないけど体感してない。自覚しないうちにそんな甘ったるいことを言ったら、いずれまた同じ過ちを犯す可能性が出てきます。

ついでに。親は自分の意思で望んで生んだわけだから、ギリであのように言いたくなる気持ちはわかる。

でも「姉はどんなことがあっても裕太のお姉ちゃんだから」て・・。

それを公の場で言っちゃうって・・。

年頃のお姉ちゃんにはいささか酷ではないのかと、そんなこともチラッと考えました。高畑さんが守るべきは息子だけでなはないんですから。

「お姉ちゃんにまで十字架を背負わせないでやってくれよ」

正直、そんな感想を抱きました。

もし自分ならどうするだろう?

高畑淳子.会見.「私はどんなことがあってもお母さんだから」

高畑さんの口ぶりから察するに、きっと今まで、手のかかるドラ息子が転ばないように、先回りして助けてきたんじゃないのかと…。成人してからも歩きやすいように、道端の石ころだって一つ一つ片付けて、泥水で汚れないように道を整えてきたんじゃないのかと…。

そしてそれが親としての存在価値だと思って高畑さんは息子と向き合ってきたのかなと…。そんな風に感じました。愛情のさじ加減て難しいですよね。

ユー、絶縁しちゃいなよ

会見の中で子育てに関する話題になった時、転んだ時の痛さも知らず、立ち上がり方も知らない息子に育ててしまったことを悔いていらっしゃるように見えました。

それならいっそのこと、絶縁するくらいの気持ちで一度は谷底にでも突き放してみたらいかがでしょうか。

「もし自分が高畑さんの立場なら」と考えたとき、私はそれも選択肢の一つにすると思います。愛すればこそ、親だからこそ、心を鬼にすべき時って絶対にあると思うのです。

そのくらい思いっきりなことをしなければ、女性を性欲のはけ口として物のように扱う気質は一生抜けないように感じました。

まぁ所詮はよそ様のご家庭のこと。当事者でなければわからないこともありますし、人それぞれと言えばそれまでですけど、とにかくいろいろと考えさせられる事件でした。

 

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