「悪い人じゃないけど、空気が読めないのよね…」
「悪い人じゃないけど」の後には必ずと言っていいほど悪い文言が付け加えらる、そんな残念な言われ方をされる人って、時々いますよね。
これといって悪い人ではない。悪気もない。それどころかすごく気を使ってくれる。だけどどうも虫が好かない、そんな人。その理由を考えてみました。
「悪い人ではない」けど扱いに困る人
それにしてもこの「悪い人ではないけど空気が読めない人」という微妙な言い回し。
賢くない代表とも聞こえるし、ちょっと痛い人、変わり者と言ってるように聞こえます。だからといって意地が悪いというのではないから、扱いに困る…。そんなニュアンスに感じるのです。
なぜ気を使っているのに怒られるの?
知り合いのご主人が急病で救急搬送された時、偶然近くを通りかかったAさんは「何かありましたか?どうしたんですか?」と、聞きに来たそうです。
「こんな一大事に。こちらはパニックでそれどころではない。精一杯拒絶のオーラを出したのに、全くそれを察知してくれない。他人の家に土足でズカズカ入り込んでくるような感覚を抱いた」と言って、プリプリ怒ってました。
特に親しいわけでもなく、せいぜい犬の散歩でたまに顔を合わせる程度。そんな人に何があったかを聞かれる筋合いも答える義務もないというのが彼女の本音です。
理由1.気遣いポイントがズレている
私もAさんのことは知っているので、すぐにピンときました。これはAさんなりに精一杯気を使っている表れです。ほら、「困った人には親切にしなさい」という小学校で習ったような道徳のマニュアルを、何も考えずそのまま実行に移す人っているでしょ?
Aさんはその典型。挨拶は欠かさない、面倒なことは率先してやる、人の悪口は絶対に言わない、どんなときでも優等生的な振る舞いをする…となれば、ふつうなら誰からでも好かれそうなものだけど、そうではなくて逆に「空気が読めない」と言われてしまう。
その時だって彼女なりに精一杯気を使い、親切のつもりで声をかけたのだと思います。ただそのポイントがズレているのと、相手の心情にまで思いが巡らなかったから、相手に伝わらないのです。
これを世間一般では「小さな親切、大きなお世話」と言います。実に残念な気の使い方です。他人に関心あるふりして、実は自分にしか興味がないことを相手に見透かされているのでしょう。
理由2.「親切な私」アピールのしすぎ
私ならどうするでしょう。
相手が大変そうならそのまま立ち去りますね。その時の雰囲気が拒絶、とまでいかなくても、「今はそっとしておいて」というオーラなら、なおさらそうします。
だって「どうしたの?」と聞いたところで、自分にできることは何もなく、問題を解決できるのは医療スタッフだと思うから。
でもAさんは違います。「心配している親切な私」アピールをすることが、人として正しいと思い込んでいるのです。
理由3.必要とされたい思いが強すぎる
それで思い出したのが以下のエピソード。
以前、似たような光景を見たことがあります。Aさんの隣人が入院した時、何日か姿が見えないと騒ぎ出し、わざわざその人の家に行って、ご主人に「何かあったのか」と質問してました。そこで初めて入院した事実を知ったようです。なんと「知らなくてすみませんでした」と謝ってました。
知らされてないなら知らなくてあたりまえ。謝る必要はありません。それなのになぜ謝る?
受け取り方次第では「なんで一番に私に知らせてくれなかったの?」と、責められてるか、嫌味にも聞こえます。
もし自分が入院するとしたら、誰に知らせる?と考えたとき、ごく親しくしているほんの一部の人だけ。それ以外は煩わしいから多分知らせないかも。
だから相手が自分に知らせてこなかったということは、そういうことなんだと、私ならそう判断するでしょう。その時は「変わった人だ」と思って見てました。
でも後から考えると、上記二つの経緯には共通したものがあります。それは、誰かに必要とされたい欲求が強いあまりにとった行動です。
それら一連の行動は、すべて自分のため。相手のためではありません。
好かれたい。必要とされたい。いい人だと思われたい願望の表れです。
「気を使う」という一見下手に出ているかのように見えるその行為は、「あなたをこんなにも心配している私を、もっと尊重して」という狡猾な強要です。だからせっかく気を使っているのに、相手に拒否されてしまうのです。
理由4.学ばない
「私はこんなにも、あなたのために気を遣っているのに」と、拒否された理由がわからないのもAさんの特徴です。
道徳本そのままの行動をするから、自分の行動は絶対に間違ってないと思い込んでいるため、Aさんから見れば、拒絶した相手が悪で、人の親切がわからない恩知らずということになるのです。
またそう思い込めば、自分の心は楽でいられます。
こうなるともう、完全な思考停止状態です。だから同じことを繰り返すのです。
最後に
「向こう三軒両隣」と言われる時代は、Aさんのような人も、もしかしたら重宝がられたでしょう。でも今は個をたいせつにする時代。
そんな時代を読む能力がないと、「空気が読めない」と言われてしまうのです。
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