Twitterのタイムラインで流れてきたのが以下の言葉。
ねえ、「私より大変な人がいる」と言ってるママを時々見かけるけどさ、「自分より大変な人」がいるから頑張らなきゃいけないって理論がとおるなら、「自分より楽している人」もいるから手を抜いてもいいんだよ?
— あるこる*10/10♀ (@doodle0523) 2018年2月12日
自分の心の声に従って
体育会系にどっぷりつかっている私は、このような言葉をよく耳にします。
かつて、ちょっとでも弱音を吐こうもんなら「みんなもやってたことだから」「あなたはまだ恵まれている」と、先輩方から言い含められたものです。するとその気になって「そうか、私よりもっと大変な人がいるんだ。私も頑張らなきゃ」と、素直に従ったものです。
でもあるときから「ばっかばかしい」と思うようになりました。
今は、「大変!しんどい!」と思ったら、他人と比べることなく、他人から何を言われようとも、自分の心の声に従って休養を取ることにしています。
真面目な人ほど「私より大変な人がいる」と、自分を追い込む傾向にあるようです。
でも、この発想はとても危険です。下手すればうつ病になりますよ。
以下、それらの理由について書いていきます。
自分の「大変さ」は他人と比べるものではない
もし、「自分より大変な人もいる」と想像を巡らすなら、それは自分がとても平穏な状態の時。その平穏を当たり前と思わず、当たり前であることを奇跡だと感謝するためならとても尊いことです。
でも自分がしんどい時、自分より大変な誰かを思い浮かべて自分に鞭を打つのは、美徳でもなんでもありません。人の耐性は他人と比較するものではありません。我慢の限界は自分が決めるものです。
そもそも、他人の大変さと自分の大変さを比べなきゃならない理由が全くわかりません。
しんどい時は頑張らなくていいんだよ
例えば風邪をひいて37度の熱が出たとしましょう。ふだんの平熱が低い人にとっては、37度の熱でもヒーヒー言うほどしんどく感じるでしょう。
そんな時、「世の中には40度の熱を出す人もいるんだ、私も頑張らなきゃ」なんて思えます?
また同じ40度の熱でも体力の違いによって、一晩で下がる人もいれば、何日も高熱が続く人もいます。
あるいは何かのスポーツで、肉離れを起こしたとしましょう。そんなとき、アキレス腱を切った人や、靭帯を損傷した人のことを思い浮かべて「私よりもっと大変な人もいるから私も頑張らなきゃ」と、思えます?
まず思えないでしょう、思えなくてふつうです。
診断名だけで重症か軽症かを簡単に決めがちですが、微熱だろうが高熱だろうが、肉離れだろうがアキレス腱断裂だろうが靭帯損傷だろうが、その人が抱えた痛み・苦しみは、その人だけのもの。その人にしかわからないことを、なんで他人と比べる必要があるのかってことです。
全ては自分の判断!
それは、甘えなんかじゃありません。立派な自己管理です。
自分を守れるのは自分しかいないのです。
成長の妨げになる
「私よりもっと大変な人がいる」の後には「それに比べれば、私はあの人よりまだまし」という、変な優越感を抱く恐れがあります。それの何が危険かといえば、「下には下がいるんだ」と、自分が安心して成長することを放棄してしまう可能性があるからです。
大変なとき、しんどいときに無理して頑張る必要はないけど、だからといってその状態をずっと維持しろってことではありません。自分のペースで疲れたら休み、自分の状態が良くなって環境が整えば、また頑張るでいいのです。その頑張りだって、自分のペースでいいのです。
比べる対象は他人ではなく、あくまでも自分の状態です。
また人の幸・不幸も、他人と比べるものではありません。
「大変ね」という言葉を、安易にかけてはいけない
自分の目から見て、いかにも「大変そうだな」と思う人がいたとしても、その言葉を渦中にいる本人に直接投げかけてはいけません。
「大変」という言葉はネガです。それを耳にしたことでその言葉に縛られてしまい、無力感を感じてしまうこともあるのです。
「大変ね」と言ったところで、その人の大変さをそっくり肩代わりできるわけではありません。それなら「同情するなら金をくれ」じゃないけど、その渦中にあるうちなら具体的に「私にできることは何?」と聞いた方がよほど親切です。
そして、嵐が過ぎ去った後に「大変だったね」と、ひと言ねぎらってあげてください。以上です。
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