年の功とでも言いましょうか。仏心が芽生えたかどうかは定かではありませんが、大抵のことは笑ってやり過ごせるようになりました。お迎えも近いと思います。
けれどそんな私でも、これだけは我慢できないというものがあります。
それは、その人の足りない部分を指摘するときに、他人を引き合いに出して比べる人。これをやられると、人としての尊厳を傷つけられた気分になります。
反発心しか生まない他人との比較
例えば「なんであなたは○○しなかったのよ!そこいくとAさんは、ちゃんとやったわよ」みたいな言い方をされるとカチンときます。
私へのジャッジなら、私のことだけにしてくれよ。
そこに別の誰かを引き合いに出す必要がどこにある?
私とAさんは全くの別人格だよ!
このように指摘されたことがどんな正論であっても、素直に聞けなくなるのです。
無意識の悪意
でも意外とこれをやってる人は多いです。自分がいつも正しいと思っている人ほど、この傾向は強いです。
我が子同士を比べたり、友だち同士を比べたり、自分のダンナと隣のダンナを比べたり、愛人と配偶者を比べたり、今彼と元カレを比べたり。
中にはとっくに死んだ犬と今飼っている犬を比較する人までいます。私が犬ならそんな人にだけは飼われたくないです。
やってる側は意図的に相手を傷つけようとしているわけではありません。でも言われた側は結果的に傷ついてしまう状態であることから、私はこれを「無意識の悪意」と命名しています。
私の調べによれば、これをやる人は「自分こそがこの世でいちばん正しい」と思い込んでいる傾向が強いです。後の対処法で、この習性をおおいに利用することにしましょう。
他人を引き合いに出す目的は?
それにしてもなぜ、このようなシチュエーションになったとき、いちいち全く違う誰かと比べるのでしょう?
その人を見習えと、強要しているのでしょうか?
違う誰かを引き合いに出すことでしか、自分の気持ちを伝えることができないのでしょうか?
大切なことはいちばん単純な言葉で通じるはずです。通じないとしたら相手に対する思いやりがない、もしくは伝える能力がないからです。
引き合いに出された時の対処法
他人を引き合いに出して非難されたときはどうしたらいいでしょう。以下、その対処法を考えてみました。
ブチ切れる、ただし正論で
こういった場合は勝ち負なんてないかもしれませんが、もし勝ちにこだわるなら、それは相手の不当な言い分に屈しないことです。この場合の相手の不当な箇所とは、「私は正しいから何を言っても許される」という部分。なのでそこを突いてやりましょう。
「目には目を」という言葉があるように、「この世でいちばん私が正しい」と思い込んで正論を吐く人には、それを上回る正論で返すのがベスト。正論は、こんな時に使うものです。
相手は自分が正しいと思い込んでやっているわけだから、真っ向から「あなたのやり方は間違いですよ。反発しか生みませんよ」と伝えるのが早道です。自分が正しいと思い込んでいる人がいちばん堪えるのは、「あなたのやり方は間違い」だと指摘されること。
ついでに、「もしあなたがこんな風に他人と比べられたらどう感じる?」くらいのことはハッキリ言っておくといいでしょう。それでわからないようなら真性のバカです。それ以上話し合う必要はありません。時間のムダです。
傷ついたことを率直に伝える
「無意識の悪意」と私は命名したとおり、本人は全く無自覚です。しかし自分が正しいと思い込んでいる人は、恐ろしいほどの劣等感があるため、異常なほど世間体を気にします。それを逆手に取りましょう。
「あなたに他人と比べられて深く傷つきました。精神がズタボロです。今からカウンセリングに行ってきます」とでも言えば、慌てふためくこと請け合い。そんな姿を酒の肴に生暖かく見守るのも、意外と楽しいかもしれませんよ。以上です。
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