Violet@Tokyo

他人を引き合いに出して比べる人への対処法

約 4 分



年の功とでも言いましょうか。仏心が芽生えたかどうかは定かではありませんが、大抵のことは笑ってやり過ごせるようになりました。お迎えも近いと思います。

が、そんな私でも、これだけは我慢できないというものがあります。

それは、その人の足りない部分を指摘するときに、他人を引き合いに出す人。他人と比べる人。これをやられると、人としての尊厳を傷つけられた気分になります。

反発心しか生まない他人との比較

例えば「なんであなたは○○しなかったのよ!そこいくと(仮にAさんとしておこう)Aさんは、ちゃんとやったわよ」みたいな言い方をされると「グレてやる!」くらいの勢いでカチンときます。

この年でグレると怖いぞ。心の中でこんな風に毒づきます。

至らないのは重々承知。(←開き直り)
私へのジャッジなら、私のことだけにしてくれよ。
そこに別の誰かを引き合いに出す必要がどこにある?
私とAさんは全くの別人格だよ!

このように、指摘されたことがどんな正論であっても素直に聞けなくなるのです。

無意識の悪意


でも、意外とこれをやってる人は多いです。特に自分がいつも正しいと思っている人ほど、この傾向は強いです。

我が子同士を比べてみたり、友達同士を比べてみたり、自分のダンナと隣のダンナを比べてみたり、愛人と配偶者を比べてみたり、今彼と元カレを比べてみたり。

中にはとっくに死んだ犬と今飼っている犬を比較する人までいます。私が犬ならソイツにだけは飼われたくないと思います。(←すでに”ソイツ”呼ばわり)

やってる側は意図的に相手を傷つけようとしているわけではないけど、言われた側は結果的に傷ついてしまう状態であることから、私はこれを「無意識の悪意」と命名しています。

私の調べによれば、これをやる人は「自分こそがこの世でいちばん正しい」と思い込んでいる傾向が強いです。後の対処法で、この習性をおおいに利用しましょう。

他人を引き合いに出す目的

なぜ、このようなシチュエーションになったとき、いちいち全く違う誰かと比べるのでしょう?

その人を見習えと、強要しているのでしょうか?

違う誰かを引き合いに出すことでしか、自分の気持ちを伝えることができないのでしょうか?

大切なことは、いちばん単純な言葉で通じるはずです。相手に対する思いやりがないから、そんな手法しか取れないのです。

引き合いに出された時の対処法

いや、そんな無神経な相手の人物像なんてどうでもいい。他人を引き合いに出して非難されたとき、自分はどうしたらいいか?ってことです。以下、その対処法を考えてみました。

ブチ切れる、ただし正論で

こういった場合では勝ち負なんてないかもしれないけど、もし勝ちにこだわるならそれは、相手の不当な言い分に屈しないことです。この場合の相手の不当な言い分とは、「私は正しいから何を言っても許される」という部分。なのでそこを突いてやりましょう。

「目には目を」という言葉があるように、「この世でいちばん私が正しい」と思い込んで正論を吐く人には、正論で返すのがベスト。正論は、こんな時に使うものです。

相手は自分が正しいと思い込んでやっていることだから、真っ向から「あなたのやり方は間違いですよ。反発しか生みませんよ」と伝えるのが早道です。自分が正しいと思い込んでいる人がいちばん堪えるのは、「あなたのやり方は間違い」だと指摘されることだからです。

ついでに、「もしあなたがこんな風に他人と比べられたらどう感じる?」くらいのことはハッキリ言っておくといいでしょう。それでわからないようなら真性のバカです。それ以上話し合う必要もありません。

傷ついたことを率直に伝える

「無意識の悪意」と私は命名したとおり、本人は全く無自覚です。が、自分が正しいと思い込んでいる人は、恐ろしいほどの劣等感があるため、異常なほど世間体を気にします。それを逆手に取りましょう。

「他人と比べられて傷つきました。今からカウンセリングに行ってきます」とでも言えば、慌てふためくこと請け合い。そんな姿を酒の肴に生暖かく見守るのも、意外と楽しいかもしれませんよ。以上です。

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このブログは私が日々感じたこと、考えたことに独自の視点を交えて書き留めている忘備録です。読者の方に少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
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