Violet@Tokyo

「みんなが嫌っているから」は、便乗して叩く理由にはならない

約 5 分



地域でも学校でも職場でも、浮いている人や嫌われている人は、一定数はいるものです。

仮に嫌われてる人をAさんとしておきましょう。そのAさんをネタにして、悪口大会で盛り上がってる場面に遭遇すると、いつも割り切れないモヤモヤを抱えてしまうのです。

直接Aさんから被害を受けたわけでもない第三者が、「みんなが嫌っているから」という理由だけでAさんの悪口大会に参加し、そこで仕入れたネタだけを信じてしまうのを見ると、「実にくだらないなぁ」と。

「みんなが嫌っているから」という色眼鏡

信じるだけならまだいいけど、Aさんから被害を受けたわけでもないのに、露骨に嫌悪の態度を表す場面に出くわすと、「この人は、人の好き嫌いすら右へ倣えなのかしら?」と、不思議な気持ちになります。

これも一種の同調圧力でしょうか?

そんなことまで人に合わせなければならないのかしら?

なんで最初から色眼鏡をかける必要があるのかと、私は不思議です。

便乗して叩く人は後付けで理由を探す

けれど、叩きたいという目的が先にあるから色眼鏡が必要なのです。

15歳のはるかぜちゃんがこうツイートしています。

色眼鏡というのは「いじめられる原因」を探すときの必需品。何の先入観も持たなければスルーできる言動でも、色眼鏡をかけて見れば、同じ内容でも景色が違って見えてきます。

叩きたくてウズウズしている人は、あることないことを「これでもかー」とばかり、叩くためのネタを探し出す達人。ひどいのになると、どうしてもネタが見つからなければ血液型にまで難癖つけます。

先日、ある人と喋っていたとき、そのAさんの話題になりました。

私が「みんながAさんを嫌っていることは知ってます。でも私は彼女から嫌な思いをさせられたことはないから、特に嫌いとは感じてません。これからも普通につきあっていく」と言うと、不満を通り越して非難するような言い方をされました。

「Aさんにはみんなから嫌われる理由があるのよ。あなたはそれをまだ知らないだけ」

「ああそう。では、あなたはこれまでに直接Aさんからの被害を受けたの?」と聞くと、「それはない」とのこと。

ただし、「親しくすると周りから同じように見られるのがイヤ」だと言う。

このやり取りでモヤモヤがMAX。

「ガキみたいなこと言うなーー」

正直、ドン引きしました。人からどう見られるかを気にして計算づくで人と関わるなんて、私はそのほうがはるかに怖いです。それに、おろかです。

人といい縁を持てば、その分人生は豊かになります。自分の人生ですから、自分が付き合う人くらい他人がかけた色眼鏡で判断するのではなく、自分の両目をガッと見開いて選んでこそ、一人前の大人だと思いません?

便乗して人を叩くのは日常茶飯事

しかしこういった現象はとても多く、芸能人の不祥事や政治家の失言や企業の失態などメディアでも度々見られます。

つい最近で言えば、透析患者への失言で炎上した長谷川豊アナウンサーの家族宛てに、変な贈り物をしたおバカな人の登場などはそのいい例です。長谷川アナは確かに不適切な発言をしたけれど、ご家族は関係ありません。でもご家族が叩かれた。

バドミントンの桃田選手の騒動もそうでしたよね。

バドミントンを知らない人まで叩いていました。「早くから親元を離れたから親の責任」だとかなんとか言っている人もいましたが、親は関係ありませんよ。現在活躍しているトップアスリートの多くは、ジュニアの頃から親元を離れて切磋琢磨しています。

あの時も、「えらっそうに上から目線で叩く人というのは、己はどんだけ完璧な人間なんだろう?」って思いましたよ。

このように便乗して叩く人というのは、関係ないことまで持ち出してはネチネチと難癖つけるようです。

私にも嫌いな人はいますが、「みんなが嫌っているから」という理由だけで嫌いというのではありません。嫌うだけの理由が、私の中にはちゃんとあるから嫌いなのです。

人を嫌う気持ちを正当化するつもりはありません。嫌がらせをされたらその人を嫌うのは自然のなりゆき。好きとか嫌いといった“気持ちの部分”はその人の自由です。でもそこには自分の責任と判断が不可欠なのです。

立派な人になりたがる人ほど便乗して人を叩く

けれど、便乗して叩く人はそうではありません。

「嫌われている人」なら自分に関係がなくても「叩いていい人」だと思ってしまうようです。そこには肝心の責任と判断なんて皆無です。

「みんなが」という絶対的多数が”正義”だと勘違いして、この時とばかりドヤ顔で、立派な正論をぶちかます。

そうすれば自分が「立派な意見を持つ人間」に見られると信じているのでしょう。しかしその正論とやらは、すでに誰かが言ったことの受け売りであることがほとんどというお粗末さ。

これこそがイジメの構図です。子供の世界からイジメがなくならない理由の一つは、大人がいつまでもこんなことばかりしているからです。

最後に

このように、「みんなが」という多数意見に便乗して叩きやすい人を叩くのは「大人として恥」くらいの認識が定着すればいいと思う今日この頃。そうなればもっともっと、楽しく人と付き合えるのではないのかと思うのです。

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このブログは私が日々感じたこと、考えたことに独自の視点を交えて書き留めている忘備録です。読者の方に少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
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