Violet@Tokyo

「はい、論破」が裏目に出るとき

約 4 分



この記事、読みました。

誰かを論破しようとしている時の人間の顔つきは、自分の正しさに酔っているようで、すごく卑しい感じがするから。

論破すること全てが悪いとは言いません。時と場合によっては論破することも必要だとは思ってます。ただし、相手の意識を変えられるかどうかは別として、というのが前提ですが。

断罪が目的になると顔つきが卑しくなる


だけど「これはないわ」と思うのは、自分の正当性をアピールするのが目的となったとき。

そんなときはたいてい論争になった事柄から大きく外れ、「論破」という名の、その実ただ言い負かしたいだけの「感情的な断罪」になっていることがほとんどで、そんな時の顔つきほど卑しいものはありません。

こうなってしまうと解決とは程遠く、感情的なしこりを残すだけ。

論破したつもりが敗北になる恐れもあります。第三者から見ればただのケンカにしか見えないし、知性も誠意も感じられないからです。

先日たまたまそんな場面に出くわしてその人の顔を見たとき、「すごく卑しい」と感じました。次項でその状況を簡単にご説明します。

論破は感情的になった方が負け

些細なトラブルで関係が悪化した者同士(仮にAとB)が、オフィシャルな場で同席しました。

そこは二人の関係を知らない多くの人が集う場であるため、腹の中はどうであれ、その場の雰囲気を壊すような態度は慎むのが大人のマナー…と思いきや、「私が正しい、間違っているのはBだ」と思いこんでいるAは、Bに対して思い切り失礼な態度を取りました。

この態度に関しては、誰がどう見てもAが悪い。当然Bはムッとします。

腹の中はどうあれ、関係のない人たちが集う場で自分の私情をまる出しにするAの態度をたしなめたところ、Aはブチギレ。関係が悪化したそもそもの原因をネタにし、相手をなじり始めました。見事な論点ずらし。

それは「誰かを論破しようとしている時の人間の顔つき」そのもの。近くで見ていて、とても卑しいと感じました。

Bは「今、この場での失礼な態度」を論点にしているのに対し、Aはトラブルになった過去を論点にしようとしている。しかも感情的になって、自分がかわいそうな被害者になったつもりで相手を断罪しようとしている。これは噛み合うわけがありません。

内容の違いはあるけど、論点のすり替えという意味でちょうどこんな感じでした。


Bは無言を貫き、相手にしませんでした。

そのためAは「言い負かしてやったぞ。はい、論破」と思ったかもしれません。でも自分の正しさに酔いしれるのは一瞬です。きっと次の瞬間から、その何倍もの恐怖を感じるでしょう。だってBの態度の方が、誰が見ても大人で、それは少し冷静になればAにもわかることだからです。

このように正しさをアピールしたいなら、感情的になって怒りをぶつけるのはマイナスです。正しさを主張したいあまり、相手を挑発し、失礼な態度を取るのはもっとマイナスです。

それがわからなくなるほど「正しい人でありたい」というAの切羽詰まった思いだけはビシビシと伝わってきまし。でも勝利した人の顔には見えませんでした。むしろ追い詰められた顔に見えました。

最後に

このように自分の正当性をアピールするため、自分のちっぽけな面子を守るための「論破」は、心の卑しさがそのまま顔に出ます。

同時にこの出来事を通して、「言葉や文章で、自分の思いや考えを誰かに伝えるために必要なことは何か?」というのも考えてみました。

自分の内面と冷静に向き合う。噛み砕いてものごとを考える。自分の正しさばかりにこだわらない。相手だけを断罪しない。もし問題があったら、どちらにも同じように問題があったかもしれないと考えてみる。

そうすれば、きっといい方向に向かう「論破」に繋がるのではないでしょうか。

 

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