「嫌い」という気持ちを直接相手に伝える人が苦手

「嫌い」という気持ちを直接相手に伝える人が苦手

人には相性があり、好きな人がいれば嫌いな人がいるのは当たり前のこと。

私にも苦手な人はいます。けれど、どんなに嫌いでも、その感情を相手に伝えることはしません。「嫌い」と伝えて何かが変わるわけではなく、それどころか、ますます関係が悪くなるだけです。

心のうちはともかく、必要であれば最低限の会話はしますし、挨拶もします。それが大人のたしなみであり、多くの人はそうしているはず…、と思いきや、そうでない人がいるようです。

虫が好かないのは仕方ないとしても…

趣味でやっているバドミントンの部員にその問題の人物(仮にAさんとします)がす。Aさんが嫌っているのは同じ頃にクラブに入部したBさん。なぜそんなに嫌うのか、私にはさっぱり理解できないのですが、長い付き合いの中で何らかの確執があったようです。けれど表面的には大きなトラブルはなく、Aさんにしたら優等生タイプのBさんはなんとなく虫が好かないという感じです。

嫌いという感情を露骨にぶつけるのはなぜ?

私は「嫌い」というエネルギーはとても大きなものだと思っているので、嫌いなら気にならない距離まで離れれば良いと思うのですが、Aさんは露骨に「嫌い」という感情をBさんにぶつけます。ことあるごとに「私の視界に入らないようにしている」と、目の前にBさんがいても露骨に無視し、挨拶一つ交わすことをしません。

「あれが大人のすることか」と、周囲は呆れて見ていますが、クラブのトップにいる人物からの庇護を受けているため、それを誰も咎めようとはしません。要するにAさんは、嫌いという態度を嫌いな相手に露骨にぶつけるだけでなく、人を見て態度を変える人みたいで、庇護してくれる人には「いい人」を演じます。

癖のある人物なのであまり近寄らないようにしていますが、来年度はAさんが部長に内定し、私も役員に選ばれています。そのため最低限の交流を持つことになります。感情の起伏が激しい人と連絡を取り合うことを考えただけで神経がすり減りそうです。

まるでいじめっ子のよう

マザーテレサの言葉に「好きの反対は嫌いではなく無関心である」というのがあります。これは、「好きも嫌いも相手に関心を持つという意味で愛である」ことからその言葉ができたわけですが、その前提で考えるなら、ただ嫌うだけの関心ではなく、その感情を露骨に態度に出して相手に伝えるということは、相手に対してもっと強い関心があるということです。

けれど当の本人であるBさんは無関心。内心はどう思っているかは知りませんが、全く相手にしません。はるかに大人の対応です。だからよけいにエスカレートするのかもしれませんが、これはいじめっ子といじめられっ子の関係に似ています。

いじめっ子ほど実は弱い

ただ不思議なことに、いじめられているはずのBさんの方が顔つきは穏やかで幸せに見えます。Bさんは、内面はとても強い人であるのに対し、Aさんの方が内面は脆い人ではないのかと感じるようになりました。そして、それを裏付ける出来事がありました。先週から始まった個人戦、私は今年いっぱいまで出られないので今回もまた応援です。

Aさんの試合を見て思いました。とにかくミスばかりで、なんであんな凡ミスを重ねるのかと驚きました。サーブの失点はいちばんもったいないのに、1試合の中でサーブミスが実に5~6本。あれは舞い上がっているからだと感じました。

率直な感想は、「普段は人を小馬鹿にしたような態度を取っているけど、実は小心者」。 呆れることに、クラブから何人も応援に来てくれたのに、お礼の言葉一つ口にしませんし、それを誰も咎めません。

「元々の性格に加えて甘やかしてくれる人が彼女を庇護する。その結果、わがままが許される環境が続き、今の彼女ができあがる」という感じです。

でもその庇護だっていつかはなくなる。そうなったとき、Aさんはどこに居場所を求めるのか…。時間が流れて「あの時、『私はあなたが嫌いです』という態度を露骨に取って、本当に良かったわ」と思う時が来るとでも考えているのかしら?

いくら嫌いという態度を取ったところで事態は何も変わらないなら、その態度を出さずにいたほうがずっと賢いと思うけど、そんなことも考えられないくらい余裕がないのかもしれませんね。かわいそうな人です。

 

「嫌い」という気持ちを直接相手に伝える人が苦手

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