「治療する気がないなら病院来るな」
これは、羆 (@mhlworz)さんという臨床医が、高額な薬をトイレに流した老人に向けてツイートしたものです。ツイート全文は以下。
「あなたが飲むのがいやでトイレに流したジオトリフ(40mg)は、1粒1万1千円です。一か月分捨てたんですから33万円。若い人がどれだけ汗水たらして働いていると思いますか」と老人に説教したが全然響いてないんだろうな。治療する気がないなら病院来るな
— 羆 (@mhlworz) 2016年3月25日
30錠ともなれば単なる飲み忘れではありません。「飲みたくない、捨てよう」という明確な意思を持って老人はトイレに流したものと思われます。
だから医師は、33万円が糞尿にまみれたことに怒りのツイートをしたわけで、最初は他の方と同様、私も「とんでもない」と、老人に対して思いました。けれど…。
なぜ老人は薬を捨てたのか?
この医師は、老人がなぜ飲んだフリをしてジオトリフをトイレに捨てたのか、その理由をちゃんと知っているのでしょうか?
説教する前に、きちんと患者の心の声に耳を傾けたのでしょうか。それが気になるところです。
「それだけの健康保険料を払うために、若い人がどれだけ汗水たらして働いていると思いますか」と聞かれても、老人は目下がん闘病中。自分のことで精いっぱいなはずです。
「馬の耳に念仏」でしかなく、だからこそ「全然響いてないんだろうな」という空しい手応えを感じたのでしょうよ。仮に私が言われても「ここは役所の窓口?」程度の感想しか抱けないと思います。
心のふれあいが患者には一番の薬
さら進めば「この先生にはもう、あまり言えない」と心を閉ざすことも予想され、これが一番怖いことで、今後の治療の成果を左右します。だって医者と患者をつなぐのは「信頼」だからです。
これはあくまでも憶測ですけど、副作用がつらいけど、それを言えないばかりに飲んだフリをしてトイレに捨てていた、ということだって十分にありうるわけです。
いずれにせよ、トイレに捨てたという事実がある以上、老人には、飲んだフリをしなければならない何かがそこにあったのは事実で、頭ごなしに「治療する気がないなら病院来るな」と言う前に、ちょっとでいいから「そうさせる何かがこちら側にはなかったかどうか」と考えるくらいの優しさが欲しいなというのが率直な感想です。
闘病中の患者の心の支えは、医師との心のふれあいなのですから。
最後に
老人がとった行動は医療関係者からすれば「困ったちゃん」であり、多くの納税者のひんしゅくを買うものでしょう。もちろん高額な薬を捨てるなんて、褒められる行為ではありません。
書き込みを見ていても、圧倒的に老人を非難するものばかりで、中には見るに堪えない書き込みもありました。
ただ正義感からの書き込みというよりはむしろ、患者を、老人を、「一人の人間」としてちゃんと見ているかどうか「そこに愛はあるのかい?」と言いたくなるような書き込みもあり、殺伐としたものを感じたのは事実。誰が正しくて誰が間違っているということではありません。
誰だって好きで年を取るのではない。誰だって好きで病気になるのではない。好きで抗がん剤の副作用に苦しむのではない。老人にはきっと治療する気持ちだって、ちゃんとあるはずです。
薬を飲まないからというだけで、「治療する気がない」と決めつけるのは、少し違うのでは?
ただ自分のしたい治療法が、相手にちゃんと伝わらなかっただけ。それを伝える術を、この老人が持たなかっただけ。そんな推測もできます。
薬をトイレに捨てた老人を「コノヤロー」と非難するのはとてもかんたんなこと。でも「なぜ?」という想像力を働かせるのは、少し難易度が高く、人間的なスキルが求められます。
それができるのはゆとりがある側で、患者ではありません。患者は自分のことで精いっぱいなのです。
これからの医療のありかた…。古くから「医は仁術」って言いますでしょ?
医学が進歩した今だからこそ、その原点にもどってみるのもいいかもしれませんわね。こんなことを考えるようになったのも、自分が入院・手術という経験をしたからでしょうか。病人にしかわからない感情が、そこにはあるのですよ。
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