昨日はクラブ親睦会でした。近くの席にいた人としか喋りませんでしたが、少し離れた席にいた人の会話が耳に入ってきました。
一番右端に座っていたのは部長です。その人の前に座っていたのは先日、これを言った人。「○○さんと組んでも勝てないのに、私は上げるなんてことはできない」
何気ない言葉に傷つくとき | Violet@Tokyo.
部長が、「まだ続けたいという人は、せいぜい5年、10年くらいだから、楽しくて仕方がない時期でしょ」なんて話しをしていたら、その人は「私はもう30年以上やっているけど、全く意欲は薄れてない。まだまだ楽しくて仕方ない」と、ニコニコしながら言っていました。
それを聞いてカチンときました。「自分が楽しみたいから、そのためにクラブを残したい」と言ってるように聞こえたからです。
「責任は負いたくない、でも楽しみたい」というだけなら同好会あたりで遊んでいれば良い。それだってそこそこ楽しめるのですから。
クラブというのは、人数を揃えて登録して連盟に役員を出せば、「それで=クラブです」いうものではありません。
それ以上にもっと重大な役割りがあります。それは、入ってきた新人を指導する人と、その人が試合に出るようになったら、その人のランクを上げる役割を担う人が必要になるのです。
そのランクを上げる役割の人というのは、「一定以上の年齢に達した人」という決まりがあって、これを逆に言えば、「今まで長いこと楽しんできたんだから、今後は自分の楽しみよりも後進を育てる責任を負え」ということです。
それを満たして初めてクラブとしての資格が与えられるのです。資格があるかないかがクラブか同好会かの分かれ道です。
そして決まりのある中でクラブとして活動するというのなら、その決まりに従うことができる人が参加すべきです。
資格もないのに安易にクラブを続けたいというのは、単なる無計画であり、無責任でしかありません。それでもなんとかなるだろうとタカをくくって突き進むことを、人は無謀というのです。
今までなら誰かしらやってくれる人がいました。
でもこれから人数が減ってしまえば、その人がやるしかないのです。私が「できない」というのとはわけが違います。30年以上もやってきて、年齢の条件も満たしているのはその人だけですから、できるできないではなく、とにかくその人がやるしかないのです。
「これからは今までと同じようにというわけにはいかない」この言葉を言ったのは、誰でもない、この人なのです。
「今までと同じではいけない」と言いながら、やろうともしないで「私にはできない」と言うのは矛盾しているではないですか。
頭でわかっていても、行動を変えようとしないのは、心でわかってないからです。それを人は口先だけと言うし、きれい事とも言います。
あまりにも簡単に考えすぎています。
それだけの年齢に達したのなら「この状態であればいずれどうなるのだろうか?」という予測くらいできそうなものですが、あまりにも安易というか、能天気というか、楽天的というか、早い話が単なるおバカさんなんのですが、呆れて物も言えません。どう考えても同じ道は歩めないなと感じました。
そして私が座った席の前に座っていた人は、今でずっと新人さんを上げてきた人です。すでに73歳にもなっているのに、まだその人を頼るという周りの姿勢もどうかと感じてきたわけですが、その人が私にこう聞いてきました。「来年、まだ続けるの?」と。私は顔をしかめて首を振りながら、小声で「無理だよ」と言ったら「そうよね。空中分解するのは目に見えているものね」との返事が返ってきました。それがごく当たり前の見解でしょう。
私ですらそれが簡単に予測がつくというのに、なぜ、あの能天気オバさんにはわからないのでしょうか?おめでたいというのはこういう人のことを言うのでしょうか?
もうわけわかんないっす。
わかるのは、こういう人ほど長生きするだろうということです。プレッシャーを感じない脳みそを持ち合わせているようだから・・ね。
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