最近巷を騒がせている某経営コンサルタントの「学歴詐称問題」。今朝のワイドショーでは彼の過去に遡り、高校時代の同級生たちにインタビューをしていました。
高校時代の彼のあだ名は「ホラッチョ川上」。「ホラッチョ」というのは、熊本では「ほら吹き」という意味だそうな。
熊本あたりの高校で同級生を相手にしてほらを吹くならいざ知らず、あれだけマスコミへの露出度が高くなってるのに、なぜあのような大胆なウソをつくのでしょう。
「空中浮遊ができる」と言った某インチキ教祖といい、この手の問題が取りざたされるたびに、すぐにわかるウソを平気でつく人の神経はいったいどうなっているのかと、不思議でなりません。
堂々とウソをつくのは悪気がない証拠?
私の身近にも似たような人がいます。話を盛ってありもしないことをあったことにしちゃう人や、言ってないのに言ったことにしちゃう人。
そんな時、「あら、またあんなことを言ってる…」と思ってその人の顔を見ると、ウソをついているようなおどおどとした雰囲気はなくて、実に堂々と、自信たっぷりに言ってのけるから驚きです。
それを見る限りウソは悪いことだという自覚がないみたいです。ウソをついている自覚がないらしく、本当のことのように話しています。だからこちらはなおさら神経を疑うのです。
トリセツ
近寄らなければいいのでしょうけど、そうもいかない相手だと本当に困ります。
でも私の場合はいくらか取り扱いに慣れてきたし、周囲も要注意人物として話半分に聞いているので、今のところは事なきを得ています。
ただこの手のタイプはウソをつくだけではなく、執念深いという特徴があるため、知り合った頃は本当に戸惑いました。
言いたいだけの人には言わせておくしか手はありません。この手のタイプを正そうとするだけ無駄。逆に恨まれてしまいます。
唯一できる対処法があるとするなら必要以上の接触を避け、できるだけ情報を与えないようにすることくらいです。
人は変えられないけど、自分の意識は変えられるって言いますでしょ?
それと同じです。
もしあることないことを吹聴されたら、周囲に対しては「まさかぁ」とウソであることをしっかりと伝えます。
注目されたいから?
つい最近もある人に話を盛られました。てんこ盛りに。
なんでも「前のクラブにいる頃から、何かにつけてvioletちゃんにはよく相談事を持ちかけられた」と、私がいかにその人を先輩として信頼しているか、二人のつながりがどれだけ深いかを周囲に吹聴する人がいました。慌てて打ち消しました。
「前のクラブにいた頃なんて、ひとっ言もその人とは口なんてきいたことありませんから!
それどころか、最初のうちなんて私は彼女から新参者いびりされましたから」
なぜ彼女がこう言ったのか。それは、私がその時に入院問題でクラブ内の話題を集めていたからで、つまりは私を利用して自分の存在をアピールしたかったみたいです。
このようにすぐにわかるウソをつく人の特徴として、「その時に話題を集めている人物にとりあえず乗っかろうとする」というのが挙げられます。内容が低レベルすぎて呆れます。
寂しいから?
上記の例を見る限り、自分が注目されたいからといって、病人でもなんでも節操なく利用するというのは、裏を返せばそれだけ自分に注目が集まってないことを薄々感じて焦っているからです。
でもその事実だけは意地でも認めたくない。
だからこそ、その時にみんなの話題を集めている人物よりも、自分を上に置いておきたいという願望があの発言になったのです。
内心はきっと寂しさを感じているのでしょうね。
周囲に対し、自分を大きく見せたい
嘘の多くは自分をよく見せたい、等身大以上に大きく見せたいというのが圧倒的です。
「ホラッチョ川上」や、STAP細胞の某理系女子なんてモロそれじゃないですか?
ここまで大それたウソをつかないまでも、人前で自分を良い人に見せたいと、異常なまでに取り繕う人も同様です。
知り合いに、家族にはビタ一文お金を使いたくないとケチるくせに、人前では大判振る舞いをして羽振りが良いように見せかける男性がいました。彼もまたコンプレックスのかたまりなんでしょうね。
お金にコンプレックスがあればお金を武器にしてそれを満たそうとする。仕事でコンプレックスがあれば仕事ができる男を演じる。学歴にコンプレックスがあれば有名大学出身となる。
このように満たされない自我をウソで塗り固めようとするときは、コンプレックスの元になっている物を武器にしたがります。なんだか哀れとしか言いようがありません。
まとめ
もちろん相手を思いやって仕方なくつくウソもありますから、ウソが全て悪いとは申しません。でも自分のためのウソは、おおかたあまりいい結果を残しません。
日常的にウソをつく人ほど口は達者です。
ウソがばれた時のことなど考えずにその場だけをなんとか乗り切りたいという思いが先行し、ウソにウソを重ねていきます。
仮にその場だけうまく切り抜けても、後で辻褄が合わず、その結果信用をなくすのです。
だいいち、必死になって背伸びをしたところで、本当にそこまで背が伸びるわけではないのです。
それなら自分の身の丈をきちんと知り、等身大の自分を認めるのが一番楽だと思うのですが、それがわからずにくだらないウソで自分の首を絞める人のなんと多いことか。実に滑稽です。
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