先月29日に子宮摘出手術を受け、術後の経過も良好。現在は退院して自宅で静養中です。
静養中と言っても、ただ寝て過ごしているわけではありません。開腹手術後に多いとされる腸閉塞予防のために、無理のない範囲で動くようにしています。近所を歩いたり、身の回りの家事程度はこなしながら日々ゆったりと過ごしています。
そんな折、ある人からこう言われました。
「もう少し静養しないと体にさわりますよ。うるさいことを言うようだけど、みんな、あなたのことを心配しているのですよ」
もうね、正直、カチンときました。
なんで医者でもないあなたに指示されないといけないの?
私は医者の指示に従って生活の中に軽い運動を取り入れているのに…。
それより何より、「服装が寒そう」と言いながら私のスカートをまくり上げて「もっと暖かい服装をしろ」とか、「早く家に帰りな!」とか、まるで子供に対するような扱い。うざいのなんのって…。
しかも本人は自分の意見が絶対に正しいと信じこんでいるから、よけいにタチが悪い。
この方の言う静養とは、家から一歩も出ずに、ただ寝て過ごすことを意味しているようです。だとしたらそれは大間違い。今は手術の翌日から歩くように指示されています。
嫌いなキーワード目白押し
この短い言葉の中に、私の嫌いなキーワードがいくつも詰め込まれています。その一つは「みんなが」という言葉。「みんなって誰?せいぜい数人でしょ?」と言いたくなります。
それと「うるさいことを言うようだけど」という前置き。自分がうるさいこを言ってる自覚があるなら最初から余計なことを言わなければいい。それでも言いたいなら、その前置きは不要。前置きすれば何を言ってもいいと思うところが嫌。
そして極め付けは「あなたのことを心配しているのですよ」という言葉。つまりは「あなたは心配されているのだから感謝しろ」ってことでしょうけど(実際、心配されるのはありがたいことだと言われた)、そもそも、感謝って無理強いするものですか?
心配というのはその人の心の問題であり、行動で示すもの。それを「心配しているのですよ」と、わざわざ本人に伝えるものですか?
「心配していてる」と言われたところで、当の私にはどうすることもできないことを、この人は理解しているのかしら?
わざわざそんなことを言って、一体私に何をさせたいのでしょう?
かわいそうな病人を心配する行為は、絶対に難癖のつけようがない美しい行為だと信じて疑わないからこそ、自分の言葉は正義だと思い込んでいるのでしょう。
でもね、かん違いもはなはだしい。
私は、このような言い方をする人が苦手です。けれど干渉したがる人ほど思い込みが強くて人に執着してきます。露骨に邪険にすると後が怖いという始末の悪さも容易に予想できるます。
まぁ適当に距離を置くしかありませんけど。
「心配している」と言いながら相手をコントロールしたがる人
全体的なニュアンスが上から目線というのが気に入らない。あれこれ言われても、押しつけがましさ満載という感想しか抱けず、少しも感謝できず、ありがた迷惑でしかありません。
なぜ上から目線に感じるのでしょう?
それは、「善意」という大義名分のもと「心配してあげている私が上」で、「心配されているあなたが下。だから私の言うことを素直に聞け」という支配的な意図が見え隠れしたからです。
だからこそ、迷惑がる私が悪いとばかり、「せっかく心配してやっているのに」くらいに思って冒頭の言葉を発したのでしょう。私が感じた不快感は、本人も明確に自覚してない、そんな無意識下の”計算”に対する反発です。
善意は押し売りするものではない
もちろん闘病中、多くの人から心配され、励まされてきました。親しくしている人が病気をすれば、誰だって心配します。それら全てがウソだとは思いません。
心から感謝し、思いやりに涙した本物の思いに触れたのも事実です。
だからこそ、こう思いました。いろんな人に心配をかけた病人の私だけが、相手の真偽を見抜けるのだと。そう、しんどい時ほど人は偽善に対して敏感になるのです。
その心配は誰のため?
ところで偽善者の言う「心配」って、一体だれのためでしょう?
「心配している心優しい私」を周囲にアピールしたいからでしょうか?
「あなたのために心配してあげたのだから、今後は私を尊重しろ」ということでしょうか?
だとしたら、それは善意の押し売りであり、自分のためのものです。少なくとも冒頭の言葉に対して、私は恩着せがましいと感じました。
言葉にすれば嘘に変わるのが善意
心配というのは、その多くは自分の心の問題であり、少なくともその対象に伝えるべきではないと、このやり取りで強く感じました。
善意は相手に伝わってこそ成立します。価値を発揮します。上っ面でのみ、「心配しています」というのはとてもかんたんなことだけど、相手が本当に「心配してくれ」と、望んでいるかどうかをよく考えるべきです。
そうでなければ一方通行になってしまいます。
ちなみに私が一番うれしかった励ましの言葉は、「体が良くなったらおいしいものでも食べに行こう」という、このくらいのライトなスタンスが気楽に感じました。心配されるよりも見守られる方がはるかに心に響きます。伝わります。
真の賢者はこんなスタンスで接してくれました。そんな人が発する言葉はストレートに私の心に伝わりました。
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