「ああ、この人ステキだな。こんな風に年を重ねていきたい!」
ざっと身の回りを見渡すと、心からそう思える人がいる反面、「絶対こんな年のとり方はしたくない」と思う人がいます。超がつく高齢化社会に突入し、お元気すぎる高齢者が増えたためか、各地で「老害」による被害が絶賛続出中。
人は誰でも年老いていくものですが、同じ年を重ねるなら美しく年老いていきたいものです。
そこで両者の違いはどこにあるのか、筆者の身近にいる人物にスポットをあてて考えてみました。
過去の思い出に両者の違いが出る
所属する部署に超がつく伝説のお局様がいます。新人が入るとそのお局様は決まってこう言います。
「私はガタガタだったこの部署を立て直してくれと、トップから直々に頼まれたからここに来た」から始まり、延々と過去の武勇伝を語るのですが、実は違うんですね。
“他の部署から回ってきた”、”トップが関与した”、”ガタガタ”というキーワードは合ってますが、内容が全く違う。
自分に都合よく上書きする
前の部署でうまくいかず、移動先を探したそうです。しかしどこの部署も「あんなのいらない」と首を縦に振らず、行き場がなくなったお局はトップに相談。するとトップは「あの人をここで面倒みてやってくれ」と今の部署に頼んだそうな。頼んだというより早い話が体よく押し付けてきたわけ。
今の部署も本当はイヤだけど、ワンマンで知られるトップの頼みともなれば睨まれるのが怖くて断りきれず、ウカウカしているうちに引き受けるハメになったというなんともマヌケな話。
すると「なんであんなの入れたのよ」と、当時そこにいた有能な人たちは猛然と反発し、ゴソッといなくなったのがコトの真相。だからしばらくはガタガタだったらしいですわ。
しかしそのいなくなった有能な人たちは、お局にしてみれば目の上のタンコブ的存在。じゃまな人物がいなくなればこれ幸いとばかり、その後はやりたい放題。お局様はしばし、我が世の春を満喫したそうな。
けれどその天下は信頼で勝ち取った天下ではなく、「逆らうと面倒だからやらせておけ」という周囲の忍耐と諦めによるもの。
思い出話の登場回数激増中
そんな伝説のお局様も寄る年波には勝てず、能力の衰えが高まるのに比例し、過去の思い出を口にする回数は増えていくばかり。盛者必衰とはよく言ったものだ。
思い出は誰にとっても美しいと言われています。しかし笑って許せる限度ってものがあります。脳内で描くのは勝手だけど、ありもしないデタラメを吹聴するのはいいかげんご勘弁願いたい。
どこをどう脚色して上書きすれば、これほどまでに違う全く別の物語に作り変えることができるのか、上書き前に誤変換チェックをしなかったのかと不思議でなりません。
過去の未熟だった自分を認める
一方美しく年を重ねる人はこの逆。間違っても前者のように「昔は凄かった」アピールはしません。むしろ若い人と話す時は未熟な人に目線を合わせ、当時の自分の未熟さを語ります。
きっと若い人に安心感を与えようとしているのかもしれません。実際「(今はできなくても)あなたもやがてきっとできるようになる」というエールを送られたような気持ちになります。
視点が違う
先の例を見ると両者の違いは歴然としています。過去にしがみつく人は過去の自分に酔いしれているから今をちゃんと見ようとしません。いやむしろ、昔のようにできなくなった今の自分と向き合うのを拒んでいるように感じます。
一方「私は昔、こんなこともできなかったのよ」と過去のダメダメだった自分を笑って語れる人は、その時に多くを学んだことで、今ここにいる自分は過去の自分とは違うという自信があります。過去は単なる通過点。つまり現在進行系で、今とこれからの自分を見ている証。
年齢を重ねていくのは生きている限り当たり前です。時間を止めることはできないし、一秒後にだって戻れやしない。過去を見ているこの瞬間だって一秒先には過去になってしまう。
と考えれば、二度と戻ってこない過去ばかり見て、「今」という大切な時間を浪費するのは本当にもったいないです。
美しく年を重ねるポイントは「今」を生きること
こういったテーマになると「逃げ恥」のゆりちゃんのセリフを思い出します。
私が虚しさを感じることがあるとすれば、あなたと同じように感じている女性がこの国にはたくさんいるということ。
今あなたが価値がないと切り捨てたものは、この先あなたが向かっていく未来でもあるのよ。
自分がバカにしていたものに自分がなる。
それって、辛いんじゃないかな。
私たちのまわりにはね、たくさんの呪いがあるの。
あなたが感じているのもそのひとつ。
自分に呪いをかけないで。
そんな恐ろしい呪いからはさっさと逃げてしまいなさい。
若ければいい、年を重ねることが悪という呪いに縛られた人ほど「今」を丁寧に生きてないし、尊厳という意味でのプライドが欠如しているように感じます。これは美魔女を見て「痛い」としか感じられないのと一緒。
誰にだって若さと引き換えに得たものや積み重ねた経験を活かす場はあるはずです。それなのに、その価値にも目を向けず、今のポジションが奪われるのではないかと怯えて暮らすなんて、ある意味不幸かもしれない…。
まぁ不幸とまではいかなくても、少なくともしあわせじゃない。
だから現状不満足の状態から抜け出せず、二度と戻らない過去に心の拠り所を求めるのです。これこそが典型的な心の老化です。
こんな年のとり方はしたくないですよね。
ではどうすればいいのか。次項にこのエントリーのテーマをまとめます。
最後に
ステキに年を重ねていくコツをまとめます。
1.過去を見ながら死んだように生きるのではなく、生きている間は前を向いて精一杯生きること。
2.そのためには目の前のいち日を大切に暮らすこと。
3.ここしかないという思い込みを捨てること。
4.できなくなったことにしがみつくのではなく、今の自分に目を向けて素直にその事実を受け入れること。その上で新しい活路を見出すこと。
5.本来なら書き換えられないはずの過去のページに嘘を書き連ねる暇があったら、新しい真っ白なページにこれからの日々を嘘偽りなく書くこと。
そうやって誠実に日々を重ねていけば、自らがかけた不自由な”年齢”という呪いから開放されるはずです。以上。
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私も逃げ恥みていて、ゆりちゃんのこのせりふにドキッとしました。わたし、自分に呪いをかけちゃったかなぁって。
22,23の頃は30過ぎて結婚しない人を馬鹿にしてたところが正直ありました。その人の背景もしらないのに。年齢だけみて私が思い描く型に勝手にあてはめてたんです。
若さ故の視野の狭さと私の性格の悪さといろーんなことが重なって、若さしか取り柄の嫌な女でしたね。いま思うと本当に。恥ずかしい。
当時のおねえさまたちはこんな私でも、不快感出すこともなく、大人な対応で交わしてくれてたなぁと思うとこれまた感服しちゃいます。当時のおねえさまより年上になりましが、私はまだまだ器がちいさいな。
幸にも私にはステキに歳をとられてる女性が周りにたくさんいらっしゃるので、みなさまのいいとこ取りをして、いまを大事にして、自分がキラキラし続けられるよう毎日楽しみますo(^o^)o
こんにちは (^o^)
私もそう。20代前半には30代のことは想像つかなったし、いざその年に自分がなったら「もう年だから」と自分に呪いをかけてやりたいことを自分の中で閉じ込めていました。
またその頃は、「今すぐにやらなくても、そのうちいつでもできる」くらいに思っていましたしね。
そして時は流れ、自分がその世代をあっという間に追い越してみると、女性が輝くのは30過ぎてからようやくだなぁなんて思います。
それにやりたいことをできる時間も有限だと気づきました。
さてここに登場した伝説のお姉さまは、30代×2倍の年をはるかに超えた方です。
そうなると「やりたいことをいつまでできるか」が、今日までか、明日までかといった時間との戦いになっているようです。
今までのポジションを手放すことへの焦りから、あのような言動を繰り返すのかもしれませんね…。
この方よりはるかに若い私から見れば、潔く終わりを認めるのはむしろ救いでもあると感じて書いたエントリーです。
手放すポジションは当然あっても、経験や見識を活かすポジションにシフトチェンジするチャンスになるわけですからね。
できなくなったことにしがみつくよりずっとまし。
人って結局、今、この瞬間しか生きられないわけだから、はるか遠くを見るより今の自分を客観的に見て、その中でベストな道を探すしかないみたいです。
私の周りで素敵に年を重ねている人はみなさんこんな感じです。