Violet@Tokyo

「被災地への千羽鶴はいりません」→「わがままだ」と熊本の被災者を非難する人々

約7分



「わざわざ鶴を折って励まそうとしている人たちのことも考えるべき。
被災しているからといって、自分たちのわがままを通すその考えは、傲慢だ」

被災地への千羽鶴をめぐり、「勘違いの代弁者ぶる奴」が、熊本地震で被害に遭われた方たちを非難しています。詳しくは以下を参照。

熊本地震が発生すると、ツイッターには「被災地いらなかった物リスト」というハッシュタグが登場。
リストには「古着」「賞味期限の短い食物」などもあげられたが、千羽鶴に関しては、「全部を飾る場所もなく、きちんと糸で止められていなかったりする物も多く、大量に送られると迷惑です。
焼却処分(焼き鳥)しました」「東日本大震災のとき宮城にいましたが、千羽鶴君、これ本当にあなた方の自己満足でしかないんじゃないですか?」
「私、東日本大震災で被災しました! その時にダントツでいらなかった物は千羽鶴! 贈られても役に立ちません!」など、厳しい意見が続出。
「寄せ書き」とともに“いらないものリスト”にあげられた。

情報源: 被災地への千羽鶴 「いらなかった」の声続出 | ニコニコニュース

すると「被災地への千羽鶴」をめぐり、ツイッター上に以下のような書き込みが寄せられました。

「送った側の気持ちを考えろ」
「貰っただけありがたいと思え」
「善意を踏みにじるのか?」
「もう支援する気がなくなった」

災害が起こる度に繰り返される「善意」の強要。
阪神淡路大震災では古着等使用できない救援物資の仕分けに膨大なリソースが割かれた上、処分に2800万円の費用がかかりました。
本当の思いやりとは一体どういうものなのでしょうか?被災者の気持ちよりも「支援者」の「気持ち」の方が優先されるべきなのでしょうか?
「千羽鶴いらない」の記事を見て熊本の方を非難するツイートが多数見受けられますが、千羽鶴はいらなかったと述べているのは、過去の震災経験者です。

情報源: 被災者の「千羽鶴はいらない」に激怒する人達 – Togetterまとめ

ボタンの掛け違いが被災者非難の原因

「被災地への千羽鶴はいりません」→「わがままだ」と熊本の被災者を非難する人々

この「#被災地いらなかった物リスト まとめ」が作られたのは2013年11月のこと。

上記の補足説明にもあるように、リストは過去の震災経験者の声を元に作られたものです。

けれどLINE NEWSで流れてきた「被災地への千羽鶴 「いらなかった」の声が続出」を読んだ人は、今回熊本地震で被害に遭われた方たちがリストを作ったと勘違いして激怒した、というお粗末な展開。


これはほんの一例ですが、読んでみると罵詈雑言の嵐。「アホか」の一語に尽きます。

どうやらアホは傲慢になるようです。

「今までの震災の被災地の人達でこんな文句垂れてる馬鹿いなかったよな」とあるけど、今までの震災の被災地の人達の声を集めて作られたものですよ?

東日本大震災だけでなく、阪神淡路大震災の時にも「被災地への千羽鶴」は問題になってましたよ?

実際に熊本の被災地には、千羽鶴など届いていませんよ?

「現在、避難所に届けている支援物資の中には『千羽鶴』はなかったと思いますが、避難所に直接届けるようなことはあるかもしれません」

情報源: 「被災地に千羽鶴はいらない」との声に「傲慢」と怒る人たち | livedoor news

「被災地いらなかった物リスト」は何のために作られたのか?

今回なぜ経験者の声をもとに「被災地いらなかった物リスト」を作ったかといえば、次の被災地が困らないようにするためです。支援をする側にとっても、そのようなリストがあれば参考になります。

震災国である日本は、いつ、どこで大地震が起きるかわかりません。地震だけでなく四季のある日本は、夏は大雨、冬は大雪など自然災害が繰り返し起きて現場は混乱します。災害はなくせませんが現地の混乱を少なくする工夫ならできるはずです。

そんな願いを込めて作られたリストです。けっして善意が迷惑とか、千羽鶴を送った人に対する非難ではありません。せっかくの善意を無駄にしないための指針です。

支援は今だけではなく数年単位で考えるべき

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「余裕のある者は弱者を助ける義務がある」

これは先日来日した世界一貧しい大統領ことホセ・ムヒカの言葉。

この言葉をお借りするなら「余裕のある非被災者は、被災者を助ける義務がある」となります。

「義務」と言ってしまうと語弊がありますが、各自ができる範囲でできることをやればいいということです。

その時は「やってやったんだから感謝しろ」などと、見返りを求めてはいけません。

仮に今できなければ、できるようになったときにやればいいのです。支援は今だけのことではないのです。

「そういうものしか届けられない小学生?とかの気持ちを踏みにじってるようにしか思えない」とありますが…。

「今、何かをしたいと思っても、今”そういうもの”しか届けられないなのら、今は無理に何かをしなくてもいい。その代りお少しずつ小遣いを貯めて、何年かしてから熊本(大分)に遊びに行けばいい。観光でお金を落とすのも立派な被災地支援だよ。」と、私が親ならこう言うでしょう。

被災者支援は、千羽鶴以外にもたくさんあることを教えます。

せめて想像力を働かせて

安易な思いつきで相手の状況も考えずに「千羽鶴でも」とか、「千羽鶴しか」みたいな支援なら、やらない方がまし。

願いを込めて作られた折り鶴そのものを無意味だとは言いません。「せめて彼らのために何かをしたい」という気持ちも理解できます。

しかし方法とタイミングについては熟慮する必要があります。

今、本当に彼らに必要なのは千羽鶴ですか?

まずは行動を起こす前に冷静になること。これも余裕のある非被災者の役割です。気心知れた相手からの千羽鶴や寄せ書きならともかく、いくら善意とはいえどこの誰ともしれない人から混乱の最中に送られても「処分に困る。どうしよう」となるのは目に見えてます。善意だけで人は救えません。

その時だけ騒いで「とりあえず何かをしました」という恰好だけつけて満足し、あっという間に忘れ去ることは今までの常でした。

それよりも、思いを寄せてずっと気にかけ続ける方が効率的です。支援はいっときのブームではありません。

非被災者は被災者よりもずっと余裕があるはずだから、今、具体的に何かをするゆとりがなくても、せめて被災者を思いやることや想像力を働かせることならできるはずです。彼らに今、本当に必要なものは何か。今、不要な物は何か。今、ここに送られたら困るものは何かを調べることは、少し立ち止まって冷静に考えれば容易にわかることです。

今は生きるために必要な物資を運ぶこと、避難をさせることが何よりも先決。自衛隊や国が頑張る時です。そこにいない私たちはふだんどおりの生活をしながら経済をまわし、可能な範囲で募金をすること。そして必要な物資や必要とされる人材は何かを的確に見極めることです。

時間が進むごとにそれらは刻々と変化していきます。

こういったことは過去の震災でいやというほど学んだことではないですか。

流れてきたニュースの表面ツラだけを見て、よく調べることなく勝手に騒ぎ、被災者に対し傲慢で悪意に満ちた言葉をぶつける人には、こんな意見は「馬の耳に念仏」でしょうけど、あえて申し上げます。

「頭は生きているうちに使え!」

 

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