「怒りや憎しみはマイナスの感情であり、そのマグマのようなエネルギーは自分を消耗させる」…。
これは自己啓発や心理学の書籍によく出てくる言葉です。
それらの解決策としてよく紹介されているのは「相手を許すこと」というのがあります。しかし残念ながら人間は神様ではありません。そこまで寛大にはなれません。少なくとも私はそうです。誰にだって嫌いな人の一人や二人はいるはずだし、過去に理不尽な仕打ちを受けて「アイツ、なにがあっても絶対に許さない!」と思う相手はいるでしょう。
私にもいます。その相手のことを考えただけで、はらわたが煮えくり返り、やりばのない憎しみにもがき苦しんだ過去があります。
でもある日、ふと気づいたのです。あれほど憎かった相手が、今はどうでもいい存在になっていると…。
なぜだろうと考えてみました。それを考えることによって、昔の怒りや憎しみを手放すヒントがあるのでは?と思ったからです。
「嫌いなら嫌いでもいい」と、自分の素直な気持ちを認める
怒りや憎しみを増幅させる原因の一つは、最初の小さな種を見落として、それに気づいていながら我慢し続けることです。
具体的には、隣人のここが嫌と思っても「お隣さんだから少しくらいは我慢しなきゃ」、職場なら「毎日顔を合わせる相手だから波風を立てたくない」など。無理をして相手に合わせようとしますよね。
実はこの無理がいちばん良くない。どんなに物分りのいいフリをしても、無理には限界があり、積み重なればどこかで爆発します。爆発しないまでも、心の奥底にくすぶり続けていれば、ふとした拍子に昔を思い出して「ああ、私はやっぱりこの人を許してないんだ」と思い知らされます。
そんなとき、いつもこう思います。傍から見て「なんであんな些細なことで」と思われたとしても、「どうせ言っても相手には伝わらないだろう」と思ったとしても、不愉快に感じたことはその場で表明した方がいいと。
表明しても状況は好転しないかもしれません。でも自分の心を偽るよりはるかにまし。だって、不愉快に感じた自分の味方になるのは自分しかいないのですから。自分の素直な気持ちを認めてあげれば、後は時間が解決してくれます。
自分の環境を変える
さかなクンの「いじめられている君へ 広い世界に出てみよう」というのがあります。
その一部を抜粋します。
ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友達ができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
結局のところ、これしかないんですよね。
相手を変えることなんてできません。嫌なものは嫌と思ったら、その嫌な対象がいない世界に身を置くしかありません。別の場所に行っても、もしかしたら別の嫌な対象が現れるかもしれません。でも新しい世界に嫌な相手が現れると、過去の嫌な相手のことなんて忘れてます。そうして人は学習します。「どこにでも嫌な人はいる」と。
するといつしかあまり人に期待しなくなっていきます。これは諦めとか心を閉ざすというのではありません。自分を守るための処世術が自然と身についたということです。
人に対する恨みをいつまでも持ち続ける原因の一つは、人に依存しすぎること。美輪さんじゃないけど、「人と人は腹六部」でつき合うことを心がければ、期待しない分だけ傷つけられることも少なくなります。
新しい環境に身を置けば、そこに楽しいこともたくさんあります。私の場合は隣人が悩みの種でした。だから自宅にいる時間を少なくするために、バドミントンという新しい趣味を始めました。もちろん嫌な人もいるけど、その何倍も楽しい仲間ができました。住まいは持ち家ですから引っ越すことなんてできません。でも新しい世界を作り、それに夢中になることで、自分の環境が変わったように感じました。
では職場に嫌な人がいる場合はどうでしょう。これも同じで、仕事を変える必要はありません。でもつき合う相手を変えることならできます。そこでステキな人と出会えれば、「嫌な人はどこにでもいるけど、ステキな人もたくさんいる」と、実感するでしょう。
そうしてたくさんの人と出会ってみると、過去に嫌だった相手のことなんてどうでも良くなってしまいます。せいぜい、「気の毒な方」くらいに思えてくるから不思議。こう思えたら勝ちですよ。だって、自分を苦しめた相手に対するいちばんの復讐は、自分が幸せになることですから。
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