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評判
ちょっと前に八王子・南大沢にあるラフェット・多摩に行った。
そこで一匹のトイプーの子犬に出会った。

せいぜい6〜7ヶ月、体はある程度の大きさが決まってくる頃だけど、やっぱりまだ華奢な感じで頼りない。人間でいうなら生意気ざかりの思春期入り口ってとこかしら?連れていたのは50代後半と見られる品の良いご夫婦。そのトイプーちゃんはとってもおりこうさん。まだ若いから元気いっぱいなんだけど、それでもご主人のコマンドにしっかり従っている。偉い!ご主人もある程度訓練というものを知っておられるご様子が見てとれる。

そこで私からこう質問した。
「どこかのしつけ教室にでも通ってらっしゃるんですか?」と。

そうしたら
「まだ小さいので私が教えました。でも、前の犬のときに警察犬訓練所に半年預託に出したことがあって、そのときに覚えました」ということだ。

偶然にもその訓練所とは、私が今通っているところと同じ。それから一気に話が盛り上がり、ついつい色んなことをお喋りしてきたのだ。初対面にも関わらず。
そのトイプー君も来年くらいにはまたお願いしようと思っているというので、きっと近い将来、いつかまた彼らにお会いできると思う。再会が楽しみ。

その方はこう言っておられた。
「あそこは良いですよね。スタッフも揃っているし、設備の面でも文句ない」
御殿場の環境もたいそう気に入っておられるご様子だった。このあたり、私と全く意見が同じ。ある程度訓練というものに触れてみると、ちゃんとしたところが良くなるのだ。何が良くて何が良くないかも見えてくる。階段を一歩上がると視界が変わってくるのと一緒だ。訓練所を選ぶ際、一番大切なのは充分なスタッフの数と設備の充実というのは何よりも大切なポイントだ。そして自宅からの交通の便もね。信頼、実績、技術の内容、周りからの評判、どれを取っても文句ない。人との出会いというものは、そのときの自分にとって一番いいタイミングのときに、自分にふさわしい相手を出会わせてくれるようになっているのだろうと、この訓練所にたどり着くまでの経緯を思うにつけ、それを実感する。

全くの通りすがりの見ず知らずのアカの他人とこれだけ意見が合う。
これこそが偽ざる客の本音であり、これこそが本物の評判だと思う。
だって互いに何のしがらみもない同士なんだからさ。

実はこれと同じことが前にも一度あった。
小金井から八王子までの電車の帰り道、お隣の席に座っていたご婦人がキャリーバックに入れたヴィオレに気づき、そこから話が始まったのだ。

「今日は電車に乗ってどこかにお出かけ?」

そこで小金井のことを話したら、その方の飼っている犬も、やはり同じところから過去に出張をお願いしたことがあったと聞き、そこから一気に話が盛り上がったことがある。だからこれで2度目。評判ていうのはこういうところから生まれるんだよ。たまに読んでてこちらが恥ずかしくなるくらいの誇大広告を目にすることがあるけど、あんなのは大抵が金メッキと思った方が良い。それよりもこういった生の口コミこそが一番信頼できると思うし、実際にその方たちと会話したことで、自分がようやく正しい方向に進めたと実感した瞬間でもあった。

まー、それにしても。
度を越えた誇大広告を見るにつけ、胡散臭さばかりを感じてしまうのは私だけだろうか?でも中身のないところほどそうしなければ生き残れないという懐の苦しさも同時に垣間見えるわけで。その必死さがアイタタタァーですわ。フッ・・
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初の御殿場
うっほー、こっちはチョー久々の更新。
もうあっちこっちで色ーんなこと書いてきたもんでさ。
こっちまで手が回らなかったよ。
だけどここは時々しか更新できなくても、今までのログは永久に残しておくつもり。だって愛する2匹の記録だもん。

数日前に御殿場に行った。
かねてより暖かくなったら御殿場の教室に行ってアジリティをやりたいと、ずっと願っていた。特にこれからの季節は涼しい御殿場は良い。あそこは犬にとっては天国だ。基本的に小金井では服従を、そして御殿場ではアジリティを練習して、服従では競技会レベルに到達するまで何年でも続けていこうと思っている。今のところアジリティは気分転換のためという意味合いが強いけど、でも活発な彼らにはとても良いお遊びとなっているようだ。それをこの日、再認識した。
さて、そのアジリティはどうかといえば・・・


この日はあいにくの天気。いきなり話変わるけど、八王子西インターができたのはラッキーだね。御殿場に行くのにとても便利。小金井に行くにしても日野バイパスが出来てそれもラッキーと思っている。そういうこと一つとっても、私たちは行くべくしてここの訓練所に行くようになっていたのかねぇ・・

話を元に戻す。
この日降ったり止んだりの不安定な天気だった。基本的に雨が降るとマーティたちは動きたがらない。雨に濡れるのが嫌だからだ。
なのになのに・・・ずっと笑顔で楽しそうにしている。
もっとやりたい、もっとやりたいと「キューン、キューン」と泣き出す始末。
アジリティが楽しくて楽しくて仕方がないって様子だった。
ヴィオレなんて「どーよ、私チョー上手い?褒めて褒めて」と主張しにくる有様。

★以下は初めてのアジリティの動画
アジリティやっててもおっとりしているマーティ


爆走女のヴィオレ


それにしてもここはワンコにとっては天国。
とにかく広い。

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手前のグラウンドには警察犬の訓練のスペースがあって、真ん中あたりがアジリティのスペース。そして写真には写しきれなかったけど、奥の方には災害救助犬の訓練ができるガレキが積まれているスペースがある。で、それ以外の開いたスペースでは自由にフリスビーをやって遊んでいるワンコがいるかと思えば、隣接する雑木林の中で気分転換のためにノーリードで自由に散歩させている人もいた。日中は暑かったけど、木陰に入れば高原特有のひんやりした風が心地良い。まさにワンコにとっては天国だ。何時から何時までレッスンという感じではなく、行きたい時間に行って、一日自由にできるので遊びに行くも同然だ。しかもそこらのドッグランよりはるかに安全。みんな訓練が入った犬ばかりだからだ。東京から毎週末のように(しかも5年以上も)練習に来ているグループもいるらしい。さすが、名門の訓練所だ。

ここに来て一番最初に頭をよぎったのは、あのシーザー・ミラン(Cesar Millan)。犬を訓練するのではなく、「犬を癒し、飼い主を訓練する」という、あの話題のドッグ・トレーナーだ。日本では相変わらず「訓練するのは犬」という意識から逃れてないのが現状らしく、だからこそ犬を預託に出しても、最初のうちだけは良くても、飼い主宅に戻って暫くすれば元の木阿弥ってことが常識的に言われ続けている。いくら「うちではそんなことはない」と言い張っても、そういうことが世間一般の通説となっている以上、プロといえど、人間の心理を押し付けている理解不足の人がわんさかいるという結果でしかないのだ。

そうね。
「訓練しました、いい子になりました、犬はガラリと変わりました」の賞味期限は、せいぜい3ヶ月が限度と言ってもいいんじゃない?
よっぽど良くても半年。
そもそも「犬がいい子になりました」というのが眉唾ものなんだからさ。
だって犬は元々みんないい子なんだからさ。
「劇的ビフォーアフター」じゃあるまいし、それこそが人間の奢りの意識の表れなんだと思うよ。まぁそれでも、賞味期限内にほんのちょっとでも味わえればそれで仕事は成功と見なすのが一般的なのかしらねぇ・・・

私に前の訓練師を紹介してくれたボブ君の飼い主さんなんざ、ご賞味することすらできないまま今に至るんだからさ。相変わらず人の出歩く時間には散歩ができない有様。それでも「家では良い子です」の言葉を真に受けて、ご自分の仕事は成功と思い込んでいるらしいが、あの飼い主さんの元々の悩みのタネは家の中のことではなく、外での問題だったはずで、手間暇かけて金かけて訓練したというのなら、家でも外でもいい子でなければならないはず。むろん、何から何まで制御できればいい、というものでもないけど、それにしたって最低「これだけは」というものすら出来てないっていうのはどうなんだろうねぇ。その辺の見極めが甘いっちゃ甘いんだよね。そりゃ、訓練師だって一生つきっきりで飼い主の面倒を見たりはできない。 だからどこかのタイミングで、「後はご自分で」という時期が来るわけだ。・・・このタイミングまでに、どれだけ犬と、そして何より飼い主の意識を変えることができるか。それに尽きるのではないのだろうか?

素人なりに生意気なことを言わせてもらうなら、ドッグトレーナーの仕事として、一番大切なのは犬を訓練する以上に、飼い主の意識を変えることなのではないのだろうか?本来なら飼い主の意識が改善され、犬も活き活きとなり、良い関係が築けて初めて終了となるわけだが、そのどちらも出来てないうちにボブ君は終了。その後3年間というもの、ずっとボブ君ご一家を見ている限り、当初の悩みだけがずっと継続している状態。今ではすでに「もうダメ」って諦めているみたい。むろん、飼い主さんの熱意の薄さもある。でも、最初はどうにかしようと訓練を依頼したのだから、それだけでも私は偉いと思っている。何もしないうちから諦めて依頼することすらしない人の方が多いんだから。なのに諦めて生活している。それが気の毒に思えるのだ。

ポッキー君だってそう。
今では自宅に訪ねてくる人に飛び掛って噛みつくようになってしまったと聞く。
彼らの姿を見ていると「訓練て一体何なのかねー」って思う。

ただ、思う。
あの犬たちの関わった訓練師が「犬を救えなかった」という事実と無力さを、犬と飼い主たちの貴重な年月のために嘆いてほしいと。
自分が出来なかったことで自分の看板に傷がつくという考えを一欠けらでも持って欲しくないと。

だって看板ならば「卒業犬」としての彼らが生の看板を背負って生活しているんだもの。いくらネット上で自分に都合の良い美辞麗句のみを必死こいて並べ立てたところで、論より証拠の彼らがその看板しょって歩いているんだもの。元々読む側だって最初からそんなものは差っぴいて読んでいる。なのに表面ツラだけ飾ることにばかり躍起になっている。それが痛い。そもそもお礼の言葉って自分から要求するものなのかねぇ・・仕事をしたことの引き換えならばお金をしっかりと貰っているんだから、それで差し引きゼロなんじゃない?なのにそれ以上の感謝の言葉までをも要求する。それがいやらしい限りだ。本当に実力のあるところはそんなものは載せてない。これだけは断言できる。

以前「あなたの犬は幸せですか」という本を購入して、思わすなるほどナーと思ったのは、犬が問題を起こすのは、飼い主が犬を混乱させた結果にしか過ぎないとあった。混乱することによって犬は傷つく。だから癒すのだとあった。彼のやり方には賛否両論あるけれど、彼が何よりも一番大切にしていることは服従訓練ではなく、犬と共に歩くこと。それこそ一日のほとんどを山の中で歩き回り、犬を本来の姿に戻してあげるのだとあった。まぁ、実生活でこれを実現することはなかなか難しいけどね。だってうちの犬は、いや、多くの犬は現に都会に住んでいるんだもの。でも、この日の2匹の表情を見ていると、大自然の中で思い切り走り回るのが犬には何よりも幸せなんだろうなぁと納得する。初めてなのにこれだけできるなんて、しかもこの2匹、疲れというものを知らないのだろうか?みたいな集中力。
こっちがまいったよ。

そうそう、何かの本に書いてあった(何の本か忘れた)んだけど、それによると、問題犬にはアジリティをやらせると良いなんてあったのを思い出した。それを読んだとき、最初は「ウッソー、何で?」と思ったものだけど、実際にやってみると「確かにそうかも」なんて思うようになった。例えばフラットトンネルとかエーフレームとか、ドッグウォークなど、そういう物をクリアするのは犬にとってはけっこう勇気がいるし怖いものだと思う。それでも怖いのを精一杯我慢して勇気を出して一生懸命頑張ってクリアした結果、褒められてそれが犬にとって大きな自信に繋がるわけだし、しかもやっているときに頼れるのはハンドラーである飼い主しかいないわけだから、自然と信頼関係が生まれるわけだ。あの本に書かれていた「問題犬にはアジリティが有効」という意味がなんとなくわかった瞬間。

この日も大所長に会った。
小金井でも数回顔を合わせたのだけど、ふだんは息子さんに任せているのであまり大所長じきじきにレッスンを見ることはない。顔を合わせても軽い挨拶程度なのだが、いつだったか、たまたま私たちのレッスンを見てもらう機会に恵まれたことがあった。ちょっと前の出来事なのだが今でも嬉しい出来事としてはっきり覚えている。その日、私たちが行ったときには接客中だったので、軽い挨拶程度の、ほんの二言三言の言葉しか交わさなかったのだが、チラッと小耳に挟んだ内容から推察すると、先月末に開催された春の本部展の反省会を、その客とやっていたようだ。やがてレッスンの時間となったので、私たちはそのまま事務所を後にしたのだが、暫くすると事務所の中から大所長がマーティのレッスンを見始めていた。

最初は事務所の入り口でチラ見程度。
が、時間が経つごとに、身を乗り出してもろガン見。
そのうち中にまで入ってきてニコニコしながら熱心に見始めていた。
しかも椅子まで用意して。更には接客中だった客まで一緒に引き連れてああでもないこうでもないと、マーティを見ながらなにやら話し込んでいる様子。

そのときは「何でだろう」と思ったのだが、後でそのワケがわかった。
いつもの訓練師さんがマーティのレッスンが終わった段階で、水を取りに一度事務所の中に入って行ったはいいけど、なかなか戻ってこない。
中で大所長となにやら話しこんでいる様子。
戻ってきて開口一番に、幾分頬を紅潮させて緊張した面持ちでこう言った。

「お、大所長からお褒めの言葉を頂きましたっ!
マーティは動きが素晴らしく良いとのことです」

これには正直、こっちが驚いた。
まさかうちのマーティが、こんな人の目に止まるとは・・・
なんか、これって凄いことじゃない?だってプロ中のプロだよ、あの方は。
この方を慕う人は業界内でも多いと聞く。でも実際に言葉を交わしてみると、それがよーくわかるのだ。暖かいのだ。だからここは、次に行くのが楽しいと感じるのだ。自分をかっこよく見せようとか、人から優れたいい訓練師と思われたいとか、人から感謝されたいとか、そういった他人の目ばかりを気にするようないやらしさを全く感じさせないおおらかさを感じるのだ。だから通うのが楽しい。それが犬たちにも伝わるから犬たちも楽しそうにしている。前とは大違い。
規模の問題?自信の問題?いや、根本の違いなんだろうねー。

最近、ネットでもプロの意見と接する機会が増えている。
それを織り交ぜて、このあたりを次のエントリーに。
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今の訓練所に移って一番最初に言われたこと。
それは私のコマンドの出し方が口調が強くて犬に対して奢りがあるということと、メリハリがないということ。思わず「アッ」と思った。それは前のときに直されたことだからだ。前の人からは私の言い方は優しすぎると言われ、命令するのだからコマンドは軍隊のように言えと言われ、そうしてきた。

むろん、考え方は色々あるとは思うけど"もし自分が犬の立場なら・・"と考えたとき、そういうコマンドを出されたら、自分はどう受け止めるだろうか?
言葉のわからない犬にとって、強い口調で物を言われたら、命令されているとはとらず、怒られていると思って萎縮してしまうのではないのだろうか?・・・
仮にそれで無理やりいうことをきかせたとしても、本当の「服従証明書」ではない。それを勘違いしていると、犬には迷惑でしかないんだよね。

今のところはそんなとこ一つとっても、本当に細かくわかりやすく、具体的に教えてくれる。それは犬の動きをつぶさに見て、それに応じて音程やリズム、あるいはどこにアクセントをつけてコマンドを出せばいいのか、みたいな、そんな細かいことに至るまで。だからこちらの気持ちも楽になるのだ。今まで「どうしてできなかったのか?」みたいなモンモンとした疑問が「あ、なんだそんなことだったのか・・」みたいに、正解がわかってスーっとするから。正解がわかるということがこんなにも自分の気持ちを楽にしてくれるものなのかということを、ここに来て初めて知った。人間ですらそうなのだから、犬にとって正解がわからないということは、不安でしかないってことなんだろうね。一つ一つの正解がわかるごとに「ごめんよー」と、2匹に対して謝りたくなる。

それにしても声の印象というのは大事だね。
人間だってその場その場で声の使い分けをするけれど、人間以上に音の印象に頼る犬にとってはもっと大事なことだろう。本当に腕の良い訓練師とは技術だけではなく、犬の心理を読み乗せ方が上手い人だというようなことを、前に何かのテレビで見たことがあった。でもそれは確かにそうだ。だってここに来てからというもの、私はリラックスして笑い声を絶やさずにレッスンしている。だから犬も笑顔を絶やさず、「もっとやりたいよー」とばかり、終いには吠え出す始末。これは勉強をしているという意識ではなく、遊んでいるという捉え方をしているようだ。ここでは犬にとっての不要なストレスとは無縁なのだというのがわかる。
こんなこと一つとっても指導力の違いを見せつけられる。

ところで。
前の記事の反響が大きく、自分でも驚いている。もともとWebというのはそういう世界だけど、blogはその性格が強調され、ものすごくpublicな世界になってしまった。トラックバックやRSSといった仕組み、記事が簡単に検索できてしまうロボット検索エンジン。これらにより文章は一人歩きする。影響力はとても大きい。私は用事があって春の本部展は見学にはいかないんだけど、あの記事に興味を持ったネット仲間たちがおのおの手分けをして取材してきてくれるという展開になった。まぁ色々な意味で報告が楽しみ・・・。

それにしても私と似たような経験、及び不信感、あるいは業界の質の低下に悩む同業者はとても多いようだ。これには正直驚いた。
これを書きつつ、この文章もまた一人歩きするのだろうね・・・と思う私。
ならば頑張って歩け!脚側にツケなんて、ケチなことは言わないから。

またこんな書き込みがあった。
>質の悪いのは、とことん叩かれるべき
との熱い応援を得て(違うか)再びコピペ。
まぁでもこれも一種の「声」にならない「声」なんだろうね・・
本当はこういうほうが怖いものなんだけど。
*******************************************

本当に腕のいいトレーナーなら、もっと具体的にどうすればいいか指示できるはず。 いくら犬を訓練できても、飼い主に理解できるように教えられなきゃプロとはいえない。 教室変わってもいいと思うよ。

>ああ、だからかぁ・・
前の訓練師はウンチクばかりは一人前だったけど、具体的にどうすべきか、ということについてはきちんと教えられなかったよ。要は腕の問題だったのねー。
犬を訓練するのはピカイチだが客の扱いが下手な訓練士がいる。犬の訓練はからっきしだが客あしらいが旨いトレーナーがいる。
どちらに習うのが犬にとって良いのだろうか 。俺は、犬が基礎訓練さえしっかり出来ていると、後は飼い主の努力次第でどーにでもなるとおもう
ただ、この相談者の場合、5ヶ月半のゴル♂にそんなにナーバスにならなくても良いのではないか

あ、あのぉ・・・
腕もヘタ、客あしらいもヘタというのは一体どうしたら?
そんな方を約一名知っているんですがね・・

同感!
まったく話は違いますが、私が最近、痛感してる事は訓練士の質低下。
公園でコントロールの効かない犬をノーリードにしてる飼い主を叱れないバカ訓練士。 訓練が下手なのだろうか?!ヘラヘラと飼い主に愛想こいて迷惑犬を増やしてる。 私は、どこの訓練所出か調べて、その訓練所に電話し犬団体には書面提出し何らかの処罰要求をし出しました!

そうそう、このノーリード軍団・・
この前、八王子市役所のそばの淺川河川敷に行って驚いた。
その日はお花見で混雑していたんだけど、そんなのお構いなしに、というか、逆に得意げになってフリスビーをやっていたボーダーコリーの集団。やっている方は「どーよ」とばかり鼻の穴膨らまして得意げになってたけど、周りにいた人たちは「バッカじゃねぇ?」みたいな感じの冷たい視線で眺めていたものだ。動きを見ていると確かに訓練が入っているらしいけど、それとこれとは別ものだ。そもそもあんな場所でやるのは非常識な行為でしかない。だいたい公共の場所で、平気でノーリードにする人の神経ってわからない。恥ずかしいと思うならまだ可愛いけど、あべこべ得意げになっているなんざ、DQNもいいとこだ。こんなことをしたいから訓練するのか?せめて「犬嫌いを作るのは犬ではなく飼い主」という言葉を理解して欲しいものだ。むろんこんなことまでは訓練師の責任ではない。トイレも含めて飼い主の公共マナーに対する意識の問題だから訓練士はマナーの啓蒙はして欲しいと思うが、躾けるのも人様に迷惑をかけないように振舞うのも飼い主だ。八王子は色々な意味で遅れているのだろうか?
客あしらいは腕に関係ないけど、 客にやり方をきちんと教えられるかどうかは腕の内。 訓練士の言うことしか聞かない犬を何頭作ったって、
家庭犬の訓練としては無意味。
>客にやり方をきちんと教えられるかどうかは腕の内
腕?なのかね、まぁ腕なんだろうねw
霧が峰で天辺取っても、貴方の言う『腕』が無くてコンビニでバイトしながら 出張訓練してる人がいるけど訓練技術は確かだよ
その訓練士が訓練入れた訓練済みの犬を扱えない飼い主がいるとしたら 俺は飼い主が犬を飼う(扱う)センスがないと思う。
逆に、生半可な知識で作られた上辺だけの訓練済みの犬を渡された飼い主の方が訓練士から離れた後苦労するんじゃないか

はい、確かに苦労しました(笑)
但し、「訓練済み」にすらならなかったがな・・フッ。

確かに以前もわからないことはその都度質問してきた。例えばマーティが威嚇したときにどうしたらいいか、みたいな質問。それに対してただ「怖がるな」とか「毅然とした態度で叱責しろ」などの答えが返ってきたものだ。だけど聞いているのは「怖がるな」という抽象的なものではなく、威嚇したときはどう対処すべきかという確たる具体的な方法が知りたかったのだ。怖いものは怖いんだから、「怖がるな」では答えにはなってないだろ。まぁ、そういう違いよ。

資格があるからプロってわけではないし、商売しているからプロってもんでもない。飼い主というのは「犬と幸せに暮らしたい」という大前提があるからこそ、仕事を依頼するのだ。なのにそんなのはそっちのけで、やたらめったら自分の実績稼ぎのためにCDだのナンだのと持ちかけるのもいる。が、はっきり言ってそんなモンは単なるたかりでしかない。ただ客がカモにされているだけのことだ。それでは自分も体裁が悪いから「『こういう世界(競技会)もあるんですよ』と導くのも、訓練師の役割だ」とかなんとか調子の良いことを言ってるだけのこと。そもそも「アナタのため」とか「客のため」という言葉が出た段階で嘘なんだ。金を貰っておきながら「客のため」もクソもない。報酬が発生している以上、それによってメシを食っているんだから、その仕事は自分のためなのだ。仕事とはそもそも自分のためにやるものだ。なのに「客のため」と、わざわざきれいごとを並べ始めたら、野心や下心があると踏んだほうが良い。「誰かのため」という言葉こそが押し付けがましい奢りと自己満足の世界でしかないからだ。
人口が多いと人口に比例して、ライバル(他の訓練士)がいるだろw
問題は、他人様の犬を対価を取ってまで訓練する技術を持ち合わせていない自称訓練士なんて、日本全国何処に行っても商売にならんよ。
そんなのが数年後に間違って独立したら何人の愛犬家が騙される事になる?
技術不足の自称訓練士に騙されるの愛犬家は北海道だけじゃなく全国に居るよw
そか!、犬を愛しているワケではなくただの自己満足なんだな?、ナトク。
脚側も満足に訓練できない奴に、金を払うほど愛犬家も馬鹿じゃないよ。
正直に、付け焼刃の技術に限界を感じて引退しましたと言ったらどうだw

これは笑った。
>脚側も満足に訓練できない奴
・・・アイタタタァ、ワタシャー、しこたま金払っちまったよ。
>犬を愛しているワケではなくただの自己満足なんだな
そうそう、思い通りに出来なければ犬のせいにするヤツなんざぁ、はっきり言って犬に愛情なんてサラッサラ持ってないよ。自分を守ることに精一杯という、自分ダイスキ人間。ついでにゆとりのなさがミエミエのせこいヤツ。
訓練競技会の質が落ちたと嘆く声も・・
訓練競技会場でトイレの躾も入ってない犬が出てますが、飼い主や訓練士のレベルを疑います。
まぁ・・・
こんなモン、平気で出してくる神経を疑う。

おやつかおもちゃかの書き込みも。
おやつやおもちゃで釣る訓練はしたくないです<<
何故? ↑この方法が一番良いのですよ。
叩いたり、強制したりは一昔前のやり方です。
オヤツ訓練法が最高の訓練のやり方なんですよ。
この方法はタイミングが必要なので、普通の訓練より難しいんです。
主従関係は人間でも同じ。
良い事をすれば褒める=御褒美=おやつ
言う事を聞かない=少し怒る=御褒美上げない=おやつなし
オヤツ訓練法を知ってから他の訓練方を学ぶのも良いと思いますよ。
オヤツ訓練法でも主従関係は結べる!!
>できれば、おやつやおもちゃで釣る訓練はしたくないです。
この人は何がしたいんだろう
自分で褒美を与えることを拒否して「主従関係を結びたい」って意味わからない 。犬だって生きてるんだよ
「人間の方が立場が上だから無条件に犬が服従する方法を教えてくれ」と言っているように聞こえる。 犬に対する考え方おかしいよ

なんだかんだといってもこれがまとめだね。
犬はおやつにもボールにも、もちろん恐怖にも服従しない。
愛情にだけ服従する。
報酬なしで躾する人はいるとは思います。
てことは全部罰子因子を使うことになるわけですが、そうなるとダメな行動がなくなるのではなく一時的な抑制にしかならないし、負の罰でなく正の罰なら、強さとタイミングと毎回起こるという3つの条件が満たされてないといけない。
どう考えても動物がかわいそう。まして教室にきたお客にそんな事を教えて喜んでするかどうか。
でも確かに正の罰はよく効果が得られると「錯覚」してしまうんで使っている人がいるんでしょう。見ていて心が痛みます。

反対意見ももちろんある。
おやつやおもちゃを使って訓練しているとソレが無い時に犬が言う事をきかなくなる、きき辛くなるって事もあるんですよ、犬によってはね
言う事をきけば「声に出して誉める」「声をかけながらなでてやる」これでも犬にとっては充分なご褒美になります
物を使っての訓練は「訓練初期」の頃にするにはかまわないとは思いますけどね

私なんて去年の訓練試験のとき、「ギリギリまでおやつの臭いを手につけておけ」とか、「注目しなかったら犬の鼻っ柱を叩け」だなんてとんでもないことを教わったよ。最低。

そこから更に話は飛躍して「競技会」へと及ぶ
そうかな?
競技会に出ている犬でも競技終わった後の指導手と犬を見てるとオヤツとかボールなどの 褒美あげて、普段はそういったもので誘導しているのが分かる犬結構見かけるけど、競技会に出てるくらいだから訓練初期とはいえない犬達だけど、誘導無くても指示どうりやってたよ
「競技」と「しつけ」ではやる事が違うし当然、訓練の仕方も変わってくるよ
「競技」と「しつけ」って何言いたいのかわからないけど、例えば、引っ張り癖の有る犬に脚側歩行を教えて、飼い主と安全に歩くことにより、いろんな場所に同伴できると犬に教え込むのはしつけだけど、飼い主と一緒に歩くそれが訓練競技会で一番最初に演技する科目が脚側行進ではないのですか ?訓練としつけを別物で考える人がいるけど、しつけの延長が訓練であり競技会の科目ではないのですか?
リンク(もしくはフィールド)という特定の場で定められた事を定められたやり方、順番でやるのが「競技」 。競技の為の訓練ってのは受験の為、試験に受かるのが目的の勉強みたいなモノ 。しつけってのは犬が人間社会の中で円滑に暮らしていく為に必要なモノ。
目的が違うワケだからやり方も変わってくるんだよ
競技犬としては抜群の成績でも家庭犬としてみると……って犬もいるしね

競技会に向く犬と向かない犬についての話へと展開。
>競技に向かない犬種が入賞しているのは子犬の頃からしつけではなく
>競技向けの訓練をしているからなのか

競技に向かない犬種など何処に書いているのかねw
警察犬指定犬種には展覧会系・訓練系などはっきりに別れる犬種が存在するが、Jの競技会に出てるダックスとかに訓練系ダックスなどあるか?

こんな具合に白熱の一途(笑)
だけど、自分なりに読んだまとめとして・・・
(↑まだ出てないので想像でしかないけど)

CDの科目にある「スワレ」や「フセ」、呼んだら来る、あるいはついて歩くというのは、犬が人間社会で安心して暮らす上では、できないよりはできた方がはるかにいいものだ。だからこそ、家庭犬(CD)にはその科目があるのだ。と考えると、訓練は躾の延長にあって境はない、という図式が成立するのではないのかと思うのだ。ということは、「訓練犬として云々・・」みたいなことを言うバカがいるようだが(←これ、実話)、それは「= 家庭犬としても失格」ということにもなるわけだ。私から言わせれば、こんなことを平然という訓練師こそ、訓練師、いや、人間失格だと思っている。犬以下だ。まぁこれには激怒したね。

どこまでが訓練でどこまでが躾なのか、その境はないと思っている。
例えば「お座り」と言ったとして、競技会を考えなければとりあえず座ればそれで良い。でも競技会や試験となると「どの位置に」「どれだけ素早く俊敏に」という、形の精密さが求めらてくるというのがその違いだと思っている。だけどそれ以前に、指示に従わなければそれまでのことだ。「あの場所で(競技会会場)」とか、そんなのは後付けのみっともない苦しい言い訳にしかないのだ。

どちらにしても出来もしないくせして出来るフリして容易く引き受けるようなヤツは、はっきり言ってロクなもんじゃねぇ。自分が未熟であることを自覚していながら分不相応の欲をかき、客をカモることばかり考えるなんざ言語道断。
その前にもう一度どこかで修行でもしなおせって感じ。本当に「客のため」を思うならね。私と似たような経験をした人は、こういった本音を「声」を大にして言いたいのではないのだろうか?

はい、きれいにまとまったところで今回はお終い。
また面白いネタを見つけたらこのシリーズに関しては、引き続きアップします。
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言い訳
エド・はるみさんのブログにこんなエントリーがあった。 (心に刻む日々。)
いいお話を聞きました。
「プロのアマチュアの違いは何?」
という質問に。
千代の富士もゴルフの青木選手も
野球のバース選手も。
偶然にも、みんな同じ答えをしたそうです。
『言い訳をしないこと』―――。
心に刻み付けたい一言です。


このみんな同じ答えだったというところに、思わず「なるほどなー」とうなってしまった。だってこの「みんな」というのが、各分野においての第一人者であるからだ。アマチュアなら言い訳も許されるけれど、プロがその場しのぎの言い訳を始めれば、それは傍から見ればただ単にみっともないだけだ。
その仕事で金を取って生活していることと、プロとは違う、全く違う。
要は気構えともいうべき意識の問題なのだ。

言い訳をする人の多くはこうだ。
仕事で失敗したときに大きく落ち込み、それを人に見破られたくないから言い訳に走る。でも私からしたら、落ち込むのは傲慢だ。つまり自分はデキる人間だと思い込んで等身大の自分の姿を見てないからだ。バカなことをやっちゃったとしたら、それがその人の本当の姿であってその人の等身大でしかないのだ。それを認めようともしないで頭の中で理想の自分を創り上げて自分だと思い込んでるから落ち込むし、その場しのぎの苦しい言い訳に走るのだ。そうやってムリしてるから、だんだんストレス溜まっていく。
やがて楽な方に逃げようとする。仕事を投げ出したり言い訳に走ったりして自分を甘やかす術を覚えていく。だからアマチュアとプロの境がないような「なんちゃってプロ」が増幅していくのだ。逃げることは負けることにすら劣る。なぜなら一度でも逃げたことのある人は、それが癖になっているからだ。仮に反省したとしても、そんな賞味期限はせいぜい半年がいいところ。必ず同じことを繰り返す。

プロなら逃げない、言い訳をしない。
そんな当たり前のことができない自称プロが多すぎる。
でもそんなの、いつかは必ず塵のように消えていく運命を辿るだろう。
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散歩当番
現在近所の犬をみんなで世話している。
今年13歳になる雑種犬・プー太郎。
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家主はギャンブルに明け暮れ、夜逃げ同然で犬だけを置き去りにして出ていった。元々家主がいるときからほとんど世話をされている様子もなく、いつも繋がれっ放しで食事も水も時々しか貰えない生活。当然散歩もしたことがない。糞尿だらけの犬小屋は雨漏りがして予防接種も(多分)やってもらってないと思われる。

それだけではない。プー太郎は何年か前から首に大きな腫瘍が出来てしまった。年々大きくなり、動くたびに首輪に肉腫が食い込み、それがこすれて傷になり、やがて化膿して、という繰り返し。腫瘍の大きさは血膿がたまり、とうとうマーティの頭くらいにまで膨れ上がってしまった。夏場になると傷口にウジがわき、強烈な悪臭を放つ。やがて歩けなくなったしまった。腫瘍が大きくなりすぎて体のバランスが取れないからだ。それに動けば首輪がこすれて激痛がするので動くにも動けなかったのだろう。まさに地獄絵図。飼い殺しとはこのことだ。

近所でもどうしたらいいものかと思案した挙句、近くにある動物病院に片っ端から当たってみた。まずどこの病院でも当然やりたがらない。飼い主さんの許可がどうのこうのというのだ。お金は取れないし、何かあったときの責任問題に巻き込まれたくないからだろう。許可もクソもない。飼い主は文句なんて言える立場じゃないんだから。あのまま放置するほうがよっぽど残酷な話だ。要するに金にならない面倒くさそうな仕事には関わりたくないという態度が丸見え。

そんな中、ただ一人だけ足を運んでくれた先生がいた。
マーティとヴィオレがお世話になっている病院の先生だ。
ひと目見た瞬間、最初は信じられないという顔をして絶句していた。
次に周りの様子を見て天を仰ぎ、「はぁー」と大きくため息。

「私がやります。私にはこんなことくらいしかできないから・・・
いや、むしろ今後も皆さんと一緒にお手伝いをさせてください」

更には今後の医療費は一切いらないと言う。無償でプー太郎の医療面の面倒をみてくれるというのだ。他の獣医たちとは大違いだ。即刻入院、そして手術。上の写真は先週の土曜日、退院した直後に撮影したもの。まだ抜糸はすんでいないけど、経過はとても良好。散歩も元気よく行っている。すでにフェラリアになっているため、毎月薬を飲ませることになった。その薬代もいらないから、餌とか散歩などの日常の世話だけしてくれと言われた。入院している最中、私たちはお金を出し合って新しい犬小屋と散歩用のリードを買ってあげた。周りの汚物の掃除も済ませ、清潔な環境で暮らせるように手配して過ごした。

それにしても獣医さんも色々だ。
多くの獣医さんのその職に就く最初の動機というのは、ただ単純に純粋に動物が好きだから、というシンプルなものが多いと思うのだが、そんな最初の気持ちを、いつしか"日常"の中に置き忘れてしまう人が多いようだ。確かに最初の情熱をそのまま維持することは難しいし、すべては同じまま留まってはいない。物事は移り行く。それは止めようもないことで、それが人生なのだと思う。でもこの先生だけは後先考えずに行動してくれた。あの惨状を見て自分の内から湧き出る、突き動かされるような気持ちのみで行動したのだと思う。見ていてそんな感じだったもの。本物の獣医というのは、こういう心を持った人なのだと思った。

何かの行動を起こすとき、見返りを求めたり相手に認めてもらうためにやるのは本気ではないと私は思っている。
デモンストレーションでしかない。
そんなものは自分の内側から湧き出てくる本気ではないから長続きしない。
本気じゃないから、やってるうちにフラストレーションがたまる。
そして相手が自分の期待した反応をしないと、「ここまでやってるのに認めようともしない」と逆ギレしたり、無責任に投げ出したりするのだ。
私はもう、そんなニセモノはうんざりだ。
でも本気の行動はずっと続く。全てにおいてね。

プー太郎が生きてこれたのは、こんな近所の善意の力によるものだ。元の飼い主は近くの貸家にいるらしいが、「ごめんね、貸家だからプー太郎を連れていけないの」と言いながら、ちゃっかりポメラニアンを飼っているとか。冗談じゃない。それでも飼い主には事後承諾という形で知らせた。
というか、最初は手術の許可を貰いに行ったのだけど、何をどう言っても、どう言葉を尽くしても「はぁー」の一言だけ、それ以上の反応は一切なし。
ラチがあかないのだ。
そうしている間だってプー太郎は苦しんでいるというのに。
反応がないどころか、自分の意思も感情も全くないという感じ。
もう全てが受身で全く言葉が通じないのだ。
まるで宇宙人と会話しているみたい。
これが四十代も半ばを過ぎた男の姿なのだろうか?
そもそも宇宙人に地球人の常識を教えても無理なのだ。
まるで「未知との遭遇」を現実に体験した気分。

私は人を変えることなどけして出来ないと信じている。
ならばどこかの宇宙人よ。
お願いだから、UFOで迎えに来てどこかの星に連れ去っておくれ・・・
お願いだから、跡形もなく消し去っておくれ・・・

さて、世話をすることになったのは私の他に4人くらいいるのだけど、みんなそれぞれ犬を飼っている。ヨークシャーテリアとかシーズーとかの小型犬なのだが、ただ一人だけプー太郎くらいの大きさの犬を飼っているのは、すぐお隣に住む方のみ。その方はプー太郎の隣人ということもあって、いつもフェンス越しにプー太郎の様子を気にかけて見てくれていた。

そこで昨日、私が初の散歩当番となったので、その方に付き合ってもらって散歩をさせてみた。んまぁーーー、とにかくびっくり。引っ張る力も然ることながら、13年間、人との触れあいが全くないような野良犬同然の犬の勝手気ままさというのにはまず驚かされる。車が来たってお構いなしで車に向かって突進していく。なので遊歩道しか歩けない。「マテ」もクソもない。これまで人との関わりがロクにないから言葉を知らないのだ。犬は言葉を理解しないけれど、ニュアンスで感じ取るとされている。そのニュアンスすら知らないのだ。「何ができなくてもいいから、とにかく危ないときには止まってくれたらいいね」とは言いつつも、今更そんな人間の都合など通じるわけもなく、ついたあだ名が「破壊大魔王」

それに引き換え、マーティとヴィオレの散歩はなんと楽なことかと、つくづく思い知らされた。私と一緒に歩くという意識があって、ちゃんと注目するし、常にこちらに意識が向いている。たとえそれが余所見していてもだ。すでにそれが当たり前なのだ。一方のプー太郎は、そんな意識は全くない。人と一緒に歩くのが散歩とは思ってないのだ。もっとも前の飼い主は散歩を面倒がり、夜になると「勝手に散歩してこい」とばかり犬を放していた。そんな環境でありながら人に対する信頼感はまだ失っておらず、性格だけはとても良い。他犬とすれ違っても関係ないって顔してるし、誰にでもすぐになついて甘える。おとなしい性格ではあるけど、別段臆病というわけでもなく、どちらかといえば陽気な性格で扱いやすい犬だ。でも従うことはしない。というより、従い方を知らないのだ。人のぬくもりに飢えていただけで、最近ではみんなに甘える仕草も見せるようになった。そんなプー太郎を見ているといつもこう思う。
痛かったろう、お腹がすいていたろう、水が飲みたかったろう、つらかったねって。もっと早くに苦しみを取り除いてあげたかったよ、ごめんねって。


だけど私はこう思った。
この飼い主は信性のバカだと。
こんな滅多にいない性格の良いコをせっかく飼ったのなら、なんでもっと大切に扱わなかったのかと。ちゃんと躾けて大事に飼えば、とても飼いやすい最高の家庭犬になってたはずなのに、なんともったいないこと。
命に対するありがたみも感謝もないんだと思った。

子犬を見た→可愛い→欲しい→飼った
でもいうことをきかない(教えてないんだから当然だ)
こんなはずじゃなかった・・
あらら、なんだか予想したより大きくなっちゃったし、世話も面倒・・・
あら、嫌だわ、病気になっちゃったじゃない、お金がかかるわ・・・
やっぱり他の犬の方が可愛いかしら・・
うん、面倒だから取替えちゃおう!
もう年だし、そのうち死ぬでしょ。

これがその人の生き様。
要するに、人生とか、生活というものに全く興味がないんだうな・・・
命の重みすら軽く見ている。
いまだにそんな人間がいるかと思うと口惜しい。
しかもまた飼っているなんて。
興味がないからわからない。わからないどころか、考えることすら放棄している。ただ逃げるだけ。逃げるということは、要するに彼にとっては自分の人生でありながら、他人事でしかないのだ。私は逃げるヤツは大嫌いだ。彼にとって興味があるのは、どのパチンコ台が出るかとか、そんなことくらいなのかも。いつも誰かが尻拭いしてくれて、それで何とかなってきたもんだから、それで良いと思って生きてきたのだろう。本気でどうにかしようと思うのなら、どんな手を使ってでもまず行動するはずだ。どんなに逃げたって自分からは永久に逃げられないと、いつかは思い知るだろう。

私は“日常”は怖いものだと思う。人生の99%は“日常”で構成されているけれど、その中に大切なものが埋没しても気づかない。
「今やらなくても明日があるさ」
こういう考え方は昔も今も大嫌いだ。

明日何が起こるかなんて本当は誰もわからないことなのに、今日の延長がずっと続くと思っている。特に犬と暮らしていると、年月があっという間に過ぎていく。限りある命だということすら"日常"の中で忘れてしまいがちになる。でもせいぜい15年かそこらの限りある命なのだ。それを知っている人間は、今日が、今が、どれほど大切かを痛いほど感じる。私はエクサイティングなことが欲しいわけではない。毎日ワクワクしたり、毎日しあわせで生きることなんかできないのもわかっている。だけど、大切なものを“日常”に埋没させてしまうのはイヤだ。

私は少し前にある人からこう言われた。
「ヴィオレにしたって、あと2年もすれば良くなる。
マーティだって、まだあと何年かはそこそこ遊べる」と。
それを聞いて激怒した。私は生半可な遊び気分でマーティに接したことなど一度もない。向き合うときはいつも真正面から真剣に向き合ってきた。限りのある尊い命だというのを嫌というほど知っているからだ。だからこそ、私にとっては一瞬一瞬が竣玉の宝物のような時間なのだ。

私にとって2匹は愛そのものだ。愛をまとった天使たちだと思っている。
体は小さいけれど、私の中ではとてつもなく大きな存在になっている。
愛という煌き、小さい煌きだとしても、それを煌き続けさせるには努力しなければいけない。そして、その「努力してでも煌かせ続けたい」と思う原動力は愛なのだ。人はよく"愛情"という言葉を簡単に口にするけれど、実は厳しいものだということを知らなすぎる。見返りを求めて行動するのは愛ではなく取引だ。犬を飼うならそのくらいの気持ちで飼うべきだ。そしてこれは飼い主だけではなく、生きものを扱う業者全てについても言えること。今回の手術を担当してくれた先生の勇気には、ただただ頭が下がる思いだ。

さて今日の午後は私の当番。
立て続けに3匹の散歩をすると疲れる。
でもよその犬を散歩させてみると、いかにうちのコたちが素晴らしいかというのを再認識する。"日常"の中にも小さな発見はあるものだ。今更プー太郎を人間社会の枠にはめることは無理かもしれないが、せめてこちらの存在を認識して歩いてくれたらいいなぁと期待しているところ。
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