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訓練師選びの失敗
"あのとき○○していたら・・"と、選ばなかったほかの道を探して後悔するのは嫌いだけど、やっぱり私はつくづく運が悪いなぁと思う。
訓練師選びの難しさを、嫌というほど痛感したからだ。
もうヴィオレの訓練を始めてから一年もの歳月が流れている。
一年というのは、人間なら四年分にも相当する年月だ。
なのに現在の訓練所では最初から全てやり直し。
そう、私は以前、訓練師選びを見事に失敗したのだ。

それは今からちょうど一年前のこと。


9ヶ月もの間、出張トレーニングで週3回も来ていながら最初からやり直しだなんて、それまでの内容があまりにもずさんだったということの証明なのだ。むろん覚えが良い悪いの個体差があったにせよ、あまりにも酷い仕上がりだった。少なくともあれはプロの仕事じゃない。「その間、一体何をやっていたの?」と、不思議に思ったとしても仕方あるまい。

事実、現在のところで最初に「9ヶ月やってこれ」と言ったとき、相手は信じられないといった表情で、一瞬呆然としていたのが印象的。形以前の問題。全く注目しないし、第一紐を外すことすら出来ない有様だったんたから。あれは人様からまともに金を取れるような仕事ではない。

特に夏からは酷かった。すでにこの時点で半年近くが経過していたわけだが、時間ばかりが無駄に過ぎていき、自分でも焦りだしたと見えて、挙句、チョークチェーンを用意しろと言い出した。後で調べたら、超小型犬であるヴィオレには、そんなものは危険が大きすぎるというのだ。(←コチラ)
事実、首の周りの毛がこすれて薄くなってしまっていた。やがてトレーニングも嫌がるようになっていき、動きにどんどんキレがなくなっていった。本来のいきいきとした表情もなくなり、その頃から「覚えの悪い犬」と言われるようになっていく有様。本来犬にとって楽しい遊びであるべきはずのトレーニングが、ヴィオレには苦痛でしかなくなっていたのだ。

更にチョークチェーンにはこんな話もある。2005年の秋だったか、マーティの出張が終わってからも、噛みつきは全く収まらなかった。そこで困り果てて電話をしたことがあった。相手は電話口でしどろもどろになりながら、消えゆくような声でチョークチェーンの使用を奨めてきた。

思い通りにならなければチョークチェーン・・・
犬を壊す気か?
素人にこんな物を奨めるだなんて、いい加減にもほどがある。
上記のサイトにはこんな記述だってあるのだ。
このタイプは訓練士さんなどでも10年以上の経験がなくては安全につかいこなすのは難しく、また 素人さんたちが使用し年間に何頭ものワンちゃんが事故で亡くなったり気管を痛めたり、頚椎を痛めたりしているそうですよ

もっとも、前の訓練師ならそれもアリだろう。去年の春のJKC訓練競技会のとき、たまたま「見学に来い」と誘われて私たちが目にしたものは、「卒業犬の声」にコメントを寄せていた柴犬・モコちゃんとその訓練師の姿。その時は公開訓練試験に出す直前だったのだけど、私たちが見ているとも知らず、彼はその犬にケリを入れていた。注目させるためかなんか知らないけど、あれはただただ犬が可愛そうと思ったものだ。だから私は競技会の話を持ちかけられたときでも、自分が指導手になる道を選んだのだ。

でもいくらCD1(紐付きで受けた)に受かったからといって、ただ受かればいいというものではない。はっきり言って試験なんていうのは、内容はともかくとして最後までやればとりあえず受かるように出来ているみたいだ。内容があまりにも酷すぎるのだ。だからこそ、今のところでは最初からやり直しという状態になっているのだ。内容が酷いというのはプロの目から見るまでもなく、素人である私の目から見ても簡単にわかるものだった。だって自分たちではまともにトレーニングすらできない状態だったからだ。これには本当に困った。

そんな状態でありながら「後、2年もすれば良くなる」と言われたわけだが、あの時点ではどう考えても引継ぎ以前の状態だったはずだ。2年経とうが、20年経とうが良くなるわけなどない状態だった。本来引継ぎというのは、「この段階まで到達すれば、後は飼い主さんの手でしっかり継続してやっていける」という目処がついて初めて引き継げるはずなのだ、またそうでなければならないはずだ。
今から思えばあれは要するに匙を投げたのだ。「ヴィオレには到底無理だから諦めろ」という意味なのだと解釈した。ならばせめて最初にそれを言って欲しかった。元々公開訓練試験の話だって、前の訓練師が最初に持ちかけてきたものなんだから。その誘いに簡単に乗った私たちも迂闊だったけど、それにしても9ヶ月もやった挙句にそんな絶望が待っているとは思わなかった。

近所の犬仲間にそれを話すと
「今のところが超一流だからじゃない?」
ってことになるけど、確かにそれもあるだろう。確かに今のところはただ出せばいいとは考えてない。完璧な状態に仕上げて自信を持って出せる状態でなければ簡単にはGOサインを出さない。そのくらい真剣に取り組んでいるのだ。それは教え方にも表れている。一つ一つが実に丁寧で正確、そして細かいというのが最初の印象だった。それは形のみの問題ではない。内面をじっくり育て上げてから出すのがベストと考えているようだ。なぜなら一度でも犬に嫌な思いをさせてはいけないという考えが根本にあるからだ。

更にはこうも言われた。
「アナタが今の所に行ったのも、そうなるべくしてそうなったのでは?」とも。
それは自分でも感じている。確かに前のところはあまりにもレベルが低くて、ある時期から私には物足りなくなっていた。でも最初は違った。「さすがはプロだな」と思ったものだった。最初は本当に自分でも恥ずかしくなるくらい無知だったけど、この何年かの間で、自分でも驚くほど本物を見抜く目が養われたのだろう。何も考えない無知で低レベルな飼い主なら、あの程度でもずっと満足し続けることができるのかもしれないが、残念ながら私は違う。自分の目で見極め、自分の頭でしっかり考え、自分の足で歩き始めていた。だからこそ、ようやく本物にたどり着いたのだ。

今のところに行ったとき、最初にこう言われた。
「形を作るのなんて簡単なんだ。形なんていうのは二の次だ」・・・

だけど前の人はその形すら作れなかったのだ。もっと前に気づくべきだった。
だから一流・二流という考え方をするなら、二流だの三流だのいうならまだましだ。前の人は私たちに迷惑をかけるだけでは飽き足らず、不愉快な思いをさせるためだけに存在しているような人だった。ましてや技術面においても、大リーグと草野球くらいの違いがある。天と地ほどの開きがあるのだ。

その方のサイトには"しつけ" とは何か? " 訓練" とは何か? とあるけど、私から見れば、その両方ともご本人にはわかってないのでは?といわざるを得ないというのが率直な感想。少なくともその方の解釈は、犬を力で抑えることが犬にとっての幸せと思っているのでは?と思わさせることが多々あったのだ。が、私は違うと思っている。確かに社会的には人間が守らなければ生きていけない立場ではあるが、精神的には対等なパートナーでもあるのだ。対等ならば武器と武器でその立場を明確にすればそれでよしと考える。犬を守ろうと思うなら、人間の唯一の武器である知恵を使って、犬が喜んで従うように仕向けることこそが理想的な犬と人との関係作りだと思うのだ。

でもその方にとって、犬と飼い主との関係などどうでもいいのかもしれない。なぜならその方は、ただ自分が競技会に出たいだけという感じだったから。どう言葉を言いつくろっても、客なんて、ていの良いカモくらいにしか思ってない。「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」的に、内容はどうあれ、とにかく出せばなんとかなる的に考えていたみたいけど、今のところは「大丈夫、絶対に失敗させないよ」という犬に対しての優しさが根底にある。それを見抜けなかった自分のまぬけさに腹が立つのだ。

いや、実はなんとなく予感はあった。
去年、3ヶ月目に入ったときの合同トレーニングの初日だったか、あまりにもヴィオレが出来てないので驚いた。
「えっ?2ヶ月やってこれ?」
それが最初の印象。
マーティの時にはある程度出来ていたのを覚えていたので、どうしてもそれと比べてしまっていたのだ。
「私の記憶違いかも・・」
なんて思って、慌ててマーティのときの合同訓練初日の動画を見たくらい。私の記憶違いではなかった。マーティはその時点で形だけはまあまあ出来ていた。
その日夫と冗談まじりにこんな会話をしたのを覚えている。
「また今回も出来なくて逃げ出すかね?」

結果、その通りとなってしまった。
それこそ冗談じゃない。仕事として金を取って来ていたのだから
「やったけど出来ませんでした。
はい、ごめんなさい。
あとは自分でやってください」
では済まされないのだ。本来ならね・・

払った分の結果を出すのが本物のプロだ。それがプロのプロたる責任なのだ。
結果が出せないまでも、「後は自分たちでやるしかない」「後、2年もすれば良くなる」などと、金だけしっかり取って自分の責任を客に押し付けるなんていうのは、まともな人間のすることではない。少なくとも今のところでは「そのうちよくなる」程度では終わらせない。完璧に仕上げて客に引き渡す。それがプロとしての最低の意地だというのを知っているからだろう。だからこそ、あの業界内で「名門」という看板を掲げ続けることができるのだ。

今のところに変えるきっかけとなった決定的な出来事は、相手の不貞腐れた態度だったわけだが、最後に会ったとき、相手はもういい加減うんざりといった顔をしていた。しぶしぶ、嫌々という態度を露骨に表わし、言葉の端々にはとげとげしさ丸出し。私たちが一体何をしたんだろう?私はただ2匹を成長させたいだけ。何でこんな思いをしなければならないのだろう?
夫はそのときこう言った。
「自分がマーティで競技会に出したいだけじゃないの?
しかも金はこっち持ちで」

あくまでもこれは憶測の域だけど、もしそうなら冗談じゃない。
マーティは私がずっとコツコツ地道に作り上げた犬だ。
そもそもマーティは私の犬だ。誰にリードを持って欲しいかを選ぶ権利がある。今の訓練所の人になら競技会に出して欲しいと思うけど、前の訓練師には任せたくない。絶対にリードを持って欲しくない。だって前の人だとマーティが萎縮するから。それに自分がよそ様の犬で出たいと思うのなら、それなりの口のきき方というのがあるはずだ。仕事も満足に出来ないくせして思い上がるのもいい加減にしろって感じ。

もうバカバカしくなった。
近くにはロクな訓練所がないと判断して、今のところに変えたのだ。なんだかんだといっても最終的には人間的な完成度で選ぶのが一番だったから。

"最初からもっと良い人を頼めば・・・"
この思いだけはどうしてもぬぐいきれない。最初から今のようなまともな所に当たっていたら、犬の貴重な時間をむざむざとドブに捨てるようなことはなかった。マーティにしろヴィオレにしろ、今頃はもっと高度な内容に到達していたはずだ。それに私たちだってこんなにも苦労することはなかった。
それだけがただただ悔しい。

マーティには負担をかけたという思いがあったので、ヴィオレにだけはそういう思いをさせたくないと思ったのに、やっぱり負担をかけてしまった。ヴィオレは口がきけないから何も言わないけど、ずっと嫌で嫌で仕方なかったんだろうなぁと思うと残念で仕方ない。2匹には本当にすまないことをしたと思っている。
まずはヴィオレに謝るべきだ。

もっとも前の人にはそんな自覚はないだろう。
そもそも「責任」という二文字を、胎盤の中に置き忘れてこの世に生まれてきたような人だから。

「責任感のない人は、それがどれほど重要なことなのか、想像出来ないのかもしれません。」

以前、こんな言葉をどこかで見かけた。
確かにそうだ。

想像力の欠如。
知性の欠如。
思考力の欠如。
感性の欠如。
だからこそ、「思いやり」と「気を使う」ことの区別がつかないのだ。

いざ自分が責任をとらなければならない状況になったとしても、表面ツラに関してしか責任を取ろうとしない。見えるものだけ、いわば体裁のみを問題にする。目に見えることだけが大事。目に見えない心なんてものはどうでも良い。だから何か責任をとらなければいけない事態になった時、その見える証拠さえ隠してしまえば、何も問題ないと勘違いする。でも賢い人の想像力によって、別の証拠が見破られたりするものだ。いや、表面ツラだけでも責任を取るのならまだまし。本当は目に見えているはずなのに、その責任に向き合おうともしないで逃げたようなものだ。だからこそ「ヴィオレなんてあの場所に行ったらコチコチになって動けもしなかったくせに」と、その責任を丸投げしたのだ。それが一番腹が立つ。

ついでに言うならその賢い人とは私のこと。
私は相手と向き合うときはハンパな向き合い方ができない。真剣に向き合うか放棄かのどっちかだ。だから人の本質を見抜く目は誰よりも鋭いと思っている。前の人の誤算は、私の頭が自分よりも悪いと思っていたことだ。自分のオツムのレベルでしか他人を判断できないもんだから、私も自分と同じレベルだと勘違いしたことだろう。ところがどっこい、私は小手先のごまかしやくだらない言い訳など通用しない女だ。なぜなら言葉というのは発する人間より受け取る人間の度量や経験で意味が変わってくる、重さが違ってくるからだ。だからこそ、彼は私たちの思いの半分すらも理解できてないと思っている。メッキはどこまでいってもメッキでしかないからね。
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